一言半句の戦場 -もっと、書いた!もっと、しゃべった!
開高 健 集英社 集英社
いまなお多くのファンが…
開高健未発表著作集。対談、小雑誌への小文、新聞広告、他書の推薦文などなど。本の構成、装丁もなかなか重厚な仕上げとなっており、1ファンとしてまずは納得の1冊。彼が逝去して20年近く経つが、ときおり今でも雑誌の特別号が組まれるほど根強いファンを引き付けている作家だ。
本書を読み、彼が旺盛に活動していた時分を思い出し、しばし懐かしさがこみ上げてきた。
彼はもういない
内容をくだくだ言うことは差し控えたい。件の名文が我々読者をまたまた魅了する。サントリーの名コピーが所々に散りばめられているのが、これまたいい。ひときわでかい活字で活写されているのも、これまたいい。
お芽子大好き同士で盛り上がる某国VIPとの話、関西人同士が二人集まって行われるのは昔も今も漫才風の対談、小田実、淀川長治、桑原武夫、彼らももういない・・・・
しかし、開高健という人物は、結構ええ加減で自分勝手な人間だなあという印象も強い。
(同じネタを何度も違うところで使うし・・・・・。)
我々は既に開高が1989年、平成の最初の年の12月に既に死んでいるということを知っている、知っていることを前提に単行本等に収録されなかった文書類等々の断片をこのような年代順の形でまとめられたものを読んでいるわけだから、当然の事ながらページが進むにつれて、彼の死に近づく文書に遭遇することになってしまうわけだ、当然のこととわかっているだけに、それが辛い・・・・
この本は、最後の最後は、谷沢永一が締め括ってくれているのが湿っぽくならなくていい。
一言半句との格闘人生、開高健は今もおいしい!
単行本から、こぼれ落ちた作品群を蒐集し尽くしてある。新聞や雑誌、業界紙やミニコミなど記事をはじめ、広告コピーや帯の一文など、貴重な原稿が収録されている。タイトルの“一言半句”は、所収の『週刊プレイボーイ』に由来が書かれてある。「他人さまの作品を判断するボクの基準は、実に簡単です。とくに新人賞、芥川賞の選考のときもそうだけど、ボクは作品の中に一言半句、鮮烈な文句があればもう充分だというのが私の説やね。一言半句でいいんだ。ところが、これが実にない。数万語費やして一言半句でいいんだ・・・」。言葉の魔術師であり、コピーライターだった若き日より、一言半句に精魂を込め、魔法をかけ続けた文豪だからこそ言える。本書は開高健の普段着の素顔を再発見できる。思えば『裸の王様』で芥川賞を受賞して以来、数多く賞を受賞したが、代表的な文学作品はどれも襟をただして読むべきものばかりだった。本書には一徹な若い頃の作品から、人生の達人として“軽妙洒脱”さを発揮した対談、冒険心を綴った海外ルポなど見逃せない。40年前からのフィッシングの世界秘境旅は、環境破壊の現実に文豪の眼を向かせた。その先見の明と提言にボクは唸った! 本書には“開高健”が凝縮してある。それでいて、手軽に雑誌感覚で読める。小説家・開高健と一味違った側面を切り口にした『饒舌な年譜』は、“開高健”の多芸多才ぶりを解きあかした。“人間・開高健”の輪郭を証言構成した「さまざまな思い出」は、隠れたエピソードを発掘し、多彩な“開高色”が見えてくる。本書を文豪が好きだったワインに例えるならば、没後の長き時間を経過により、十分に発酵・熟成し芳醇な香りがする。時が言葉を磨き、いま蘇る“開高モルト”の未収録味は。時代を超えた鋭ささが光っている。
最後の晩餐 (光文社文庫)
開高 健 光文社 光文社
最後の晩餐とは?
作家の豪放磊落のマスクの影の、作家本人の言葉によれば、「滅形」という闇は、こんな食物をめぐるエッセイにさえ見え隠れしている。ラブレー風の饒舌で豊穣な、水気の多い文章にも、作家の憂鬱が覗かれる。カニバリスムをして飽食に厭いた末の高度の食文化として「最後の晩餐」となずける作家の、その精神の闇の深さを知るべきか。中野美代子氏も、このカニバリスムの部分について絶賛している。肉体にたいする独特の見方をもつ文明からよって来る中国のカニバリスムについて、更なる興味をお持ちの向きは、大室幹雄『桃源の夢想』が参考になろう。
健啖家がうらやましい
私は、酒飲みであるし、旨い店探したと友人に言われれば駆けつけるタイプである。それは、消して高級な店であることはめったにない。そこらにある少しおしゃれな店であったり、ええ、こんなキタネー所かよと言うようなところもある。
かつては、開高健氏には敵わないまでも大喰らいの大酒のみであった。
ただ、ややこしい事件で心身を酷使し、体を壊してから、酒は相変わらずいくらでも飲めるのだが、食が細ってしまった。かつては、昼食にカツどん大盛り・・なんていっていたのが、いまや盛りそばで充分になった。レーシングカートのための減量の問題もあるが、基本的に「大食漢」でなくなり、たくさんものが食べられなくなったように思う。
そんな中で、文字通り人を食ったような話を連発し、飲み食いし、そんなに句って大丈夫なの?戸思わせながら、歴史から、文明から、文学までも食いまくり喋り捲れるこの怪人には心底うらやましいという気持ちを抱く。
少なくともこの本を読んでいる限り、成人病が何だ、旨い食わずに長生きするなら、人生半分しか生きてないんだから、半分で終わっても元は取れるという気にはさせてくれる。
素敵だ。
復刊おめでとうございます
開高健の傑作はたくさんあります。
人によってそのベストワンはまちまちでしょうが、私のイチオシはコレ。
最初の1ページ目から最後のページまで、知的好奇心を刺激されっぱなし。
開高健のゆたかな語彙と、独特の日本語のいいまわしにひきつけられて、寝る間も惜しんで読んだことが昨日のようです。
本の最後の方、残りページが少なくなってくると「ああ、まだ終わらないで…」と願った唯一の本でもあります。
もともとは月刊「諸君!」に連載されていたものをまとめたもの。
しかし、並々ならぬ労作です。
古今東西、「食」(酒も含む)を軸に、開高氏がさまざまなテーマに体当たり。
対象への斬りこみが深く複眼的です。
ああ、こういう見方もあったのか…、と私のような浅い人間は嘆息の連続です。
ところどころ、頬がゆるむクスッとなるようなあたたかいユーモアがあって、読み飽きしません。
数年前、当時の在庫をすべて買い取り、知人友人先輩後輩に送りつけ無理やり読ませたことがあります。
みなさんもぜひ!
ちなみに初版本の装丁は見事でした。
あれを超える装丁を、日本の本では見たことがありません。
夏の闇 (新潮文庫)
開高 健 新潮社 新潮社
「当時の男」と「普遍的な女」と
ベトナム戦争が行われていた頃に、進歩的文化人が現れて、人ごとに「お前は何もしなくていいのか」と叫びまくった。国中がベトナム戦争への個人の対応を巡ってヒートアップしていた。全人類的な言い方で、人々に「反米運動」をせまっていた。他国の戦争に。いまはどうか、イラクは?アフガンは?パレスチナは?
ベトナムでの取材を経て無気力になった?目の前で人が殺されるのを見てくれば、それは衝撃かもしてない。しかし、それは普遍的な衝撃なんだろうか?
この作品がすぐれているのは、圧倒的な日本語の表現力に尽きると思う。素晴らしいと思う。かれがもう一度ベトナムを目指すのは、正義感、義務感というものではない。血の流れる現場か阿片の現場にしか実存し得ないかれの精神構造からだ。「当時の男」と「普遍的な女」が同一時制で、かみあう筈もないのだ。
「輝ける闇」と「夏の闇」。開高健の代表作はこの2作だと思う。
もちろん、この「夏の闇」だけ読んでも素晴らしい作品であることに変りはないが、やはり「輝ける闇」を読んでから読むべき一冊だろうと思う。
主人公の「私」は何故怠惰な生活を送るのか、沈殿してしまうのか、絶望しているのか、そんな自分を嫌悪しながらもそこから抜け出そうとしないのか。そして、何故ベトナムに戻ることを決めたのか。その理由が、彼のベトナム戦争での経験にあるのは「夏の闇」でも触れられているが、経験そのものを作品化したのが「輝ける闇」だからだ。
「夏の闇」を読んでから「輝ける闇」を読み“だから「私」はこんな生活を送るようになったのか”と感じるよりも、“「私」がこんな生活を送ることになった必然性を理解したうえ”で、この作品を読む方が、より「私=開高健」の闇を感じることができるように思える。
開高健の文体は力強く男臭い。文章から開高の体臭が漂ってきそうだ。
この作品の舞台はドイツである。著者が、南北ベトナムに対する東西ドイツという意味でそうしたと勝手に推測しているのだが、わたしが勝手に抱くドイツからイメージされる色の「灰色」、そして、どんよりとした灰色の空。そんなイメージを抱く舞台で、心の闇を抱えた男と女の生活が濃密な文体で描かれるこの作品、読み終わった後の疲労感はかなりのものだ。
わたしが最も繰り返し読んだ著者の作品は「オーパ!オーパ!」だが、やはり彼の代表作は「輝ける闇」と「夏の闇」。この2作だと思う。
読んでおくべき本の一つ
開高先生の著書は、読んでおくべき本だと思っている。私も先生の著書を片っ端から読んで読んで読み漁った経験がある。
とにかく先生の描く世界にどっぷりとはまり、抜け出すためにまた読むといったことを繰り返していた。
私は迷った時に開高先生の本を手に取り、また池波正太郎先生の本を手に取るなど、両先生に何度も慰められたり、励まされたりしている。
自分自身の経験から息子にも読ませるために開高先生の全集を目に付くところに置いている。
それでも、人間は生きる。
私小説は書かないと公言し、寓話小説を書き続けた開高健。
しかし、ベトナム戦争の現場で衝撃を受け私小説を書き始めた。
この本はより私小説としての色が濃厚になった「輝ける闇」の連作である。
「夏の闇」で特筆すべきは、選び抜かれ洗練された言葉と
鋭く真理を突いたストーリー。
恋愛小説として語られる事もあるが、恋愛も人生の一部と
捉えるのであれば、私はそれに反対しない。
醜い部分はオブラートに包まれがちなものであり、
「恋愛」のそれを剥がすと非情な真理が現れるのである。
それを目にしたときの衝撃は、計り知れない。
前作を読まずとも入り込めるので、
この素晴らしい言葉と真理の結晶を是非手にとって頂きたい。
間違いなく、日本文学の最高峰のひとつと言える傑作である。
私はもっと若いうちに手にしておけばと後悔している。
優れた文体。研ぎ澄まされた文章。
研ぎ澄まされた文章で男の闇が描かれている。傑作小説である。ここまで冷徹なまるで日本刀のような文章に出会ったことはない。物語は男の心情の吐露が続くが、その感情表現がすばらしい。すばらしいから物語を凌駕している。日本語のある到達点といっても過言ではない。
ベトナム戦記 (朝日文庫)
開高 健 朝日新聞社 朝日新聞社
この本はきつかった。
まだ少年と言える時代に読んでしまった。戦争とはいったい何なのか?など考える余裕などなかった。
「ベトコン少年、暁に死す」の項を読まなければ良かったと後悔しつつ読み続けた。胃の辺りが石を飲んだように重くなって、目には涙が浮かんできたのを今でも覚えている。
開高健先生は、私にとって人生の師と勝手に決めているのですが、この本の内容は中学生の私にとっては厳しすぎたと思う。
今、子供にも開高先生の小説を読むように勧めているが、この本はもう少し後にしようと心に決めている。
戦争や人間の存在そのものの本質
「ベトナム戦記」という本の存在だけは知っていたが、ようやく手にとって読んだ。
これは、開高健氏のベトナム従軍記です。いままで戦争に関する本はいくつか読んだが、「ナンバー・ワン」です。
ベトコン少年の公開処刑を書いた「ベトコン少年、暁に死す」の章から最前線に赴く後半の章は、臨場感があって、実際に開高氏と一緒にいるような妙な感覚になる。一流小説家である開高氏の文章の力だろう。
この本のなかで「ベトコン少年、暁に死す」の章は特に凄い。凄くて深い。「戦争」や「人間」の存在そのものの本質をわしづかみにするような迫力ある文章である。
たとえ、この章だけでも読む価値はある。
不謹慎だが、フライフィッシュングの延長として(肯定論)
1954年生まれのレビュワーにとっては、「ベトナム戦争」として報じられる戦況の後半部分に意識があるが、前半は、正直言うと「なんでアメリカがあんなところで戦争してるの?」という感じであった。
世の中には、アメリカに留学した小田実さんらの「ベ平連」が盛んにデモをしているのが思い出される。
この時点で、私の知る開高健さんは、山口瞳さんの先輩で、魚釣りの好きな人、お酒を飲む大食漢でしかなかった。この人が何ゆえにベトナムまで行くのかは、中学生の小生には理解不能であった。
高校になって読み、大学になって読み、社会人になって読んだ時にベトナム戦争の帰趨とか、その後のカンボジアの情勢や更には共産国家の終焉などの様々な別の情報が入っていて、彼の文章は素直に受け入れられなかった。
しかし・・・・ここから怒られるかもしれないけれど、ひょっとして、開高健さんは、「文豪」とか「社会評論」とかのややこしいことではなく、『ライズ』のくりかえされる浅瀬にフライを飛ばすフライフィッシングの場所としてとらえたのではないかと思えてきた。命がけのフライの操作ではあったが。
そう考えると妙に分かりやすいのですが、いかがでしょう?
開高大魔王の戦場の観察ぶりを見よ
開高大魔王の1960年代のベトナム戦争の記録だが、今読んでも、まったく古びていない。アメリカ=悪、解放戦線=正義、とのステレオ・タイプの当時の「定説」にも組みしていない。声高に「スローガン」を叫ぶむなしさを知った開高大魔王と凡百の作家、たとえば小田実などとの違いがそこにある。現場では「戦場」を語っても「戦争」は語れない、と、諦観した大魔王の戦場の観察ぶりを見よ。ベトナム戦争の最上の記録の一つでもある。もちろん独特の大魔王の文体「開高節」の完成度は他のエッセイ、小説と変わらない。(松本敏之)
信じられる戦争の記録
ベトナム戦争は歴史上最も自由な報道が許された戦争といわれている。日本人の手による戦場の記録というと、とかく加害者か被害者の立場に立ったものばかりが目につくが、開高健は当事者ではない第三者として中立の立場で現実を直視し、判断し、記録しようとする。
最近のイラク戦争を見ていると、メディアを通して報道される情報がいかにコントールされているかを思い知る。しかし、本書に記録された内容を私は信じることができる。なぜなら、当時すでに小説家としての高い地位にいた一人の男が、命懸けで目撃してきたものだからである。テレビの報道を見ながら、あれこれ発言する作家は多い。しかし、現実に起こっていることを確かめるために実際に戦場まで出かけていくだけの勇気を持つ作家は、今の日本に果たして何人いるだろうか?
輝ける闇 (新潮文庫)
開高 健 新潮社 新潮社
最高の緊迫感
ベトナム戦争の従軍記者としての経験を記した本です。戦争を経験し、それを記した本は多くありますが、本書は戦争体験を書いた本ではなく、前線において戦争を客観的に見つめる記者の目で描かれたのもです。だからこそ読み手にビシビシと緊張感が伝わってくるのかもしれません。開高氏独特の観察感と溢れんばかりのボキャブラリーによって、はじめてこれだけの緊張感を描くことができるのだと改めて感心しました。
またこの作品に戻ってきてしまう
この小説を初めて読んだのは、25年以上前になります。
私はそのはじめて読んだ単行本を今も持っていて、2、3年に1度読み返します。
読み返すたびに、25年前と同質の迫力を感じます。
著者の視点は、ぺトコンと戦わされるベトナムの兵士たちにもに注がれます。
彼らはある瞬間にスイッチが切れたように反応しなくなります。それは自らの
意思さえも入り込まない拒絶の表れです。
そういった彼らとの付き合い、彼らの死。著者は戦闘に同行し命を落としかけて
いますが、銃を所持せず、あくまで傍観者として彼らの死を見続けます。
私は滅多に小説を読み返しませんが、この作品だけは何回も読み返しています。
臭いがする
開高健を、ただの釣り好きの美食家のように思われているとしたら、本書はその認識を根本的に転換すること間違いなし。
ベトナムという地で、遠く1975年まで戦争が行われていたことを、今は忘れてしまっているとしても、まるでその場にいるかのような圧倒的な臨場感が吹き飛ばしてしまうような、臭いが、音が聞こえてくるようなリアリティーを持つ作品。
開高健が好きなら決して外せない、ベトナム戦争に興味があるなら極めつけにお勧め。まして両方なら、決定的にお勧めです。
言葉で言い表せないもの
ほとんど文学作品は読まない私が読んでいる数少ない作家の一人。プラトーンを久しぶりに見たから惰性でこの本も読み返す。全然ジャンルも内容も違うけど、出だしを読み始めて「限りなく透明に近いブルー」を思い出す。言葉の言い回しなんかがふと似ているように思った。但し1ページ目だけですが。秋山駿が書いている後書きの解説に「これはたいした作品でない云々と三島由紀夫が言ったとか・・」と書かれていますが。こんな文章を見るにつけ、やっぱり俺は三島由紀夫なんかは読む気にならんなあと改めて思ってしまう。人生に対する美学が全く違うもんね。ただこの本は正直なんともいえない書物です。このあと段々と「オーパ」路線に行ったような気がするのは僕だけでしょうか?
命日が2つあるそうです
開高健先生は秋元カメラマンと文字通り生死をともにした仲であり、その時にお二人で、われわれの命日としようと決められたそうです。それ以来、お二人は命日が来ると酒を朝から浴びるように飲んでおられたとか・・・・。
私も友人と海外で会社そのものがライバルに売り飛ばされ、3/1から新しい会社(ライバル社)に名前が変わりました。折しもオリンピック開催の年であり、2/29が存在します。私は友人と開高健先生のアイデアを盗んで、我々二人の命日と決めており、それ以来、その命日では二人だけでハメを外しております。開高先生も秋元カメラマンもお二人とも本当の命日をもっておりますが、天国でもあの調子でやられているのでしょうか?
ぜひそうであって欲しいと願わずにはおれません。開高先生の作品はどれも内容が高く、何から子供に読ませようかと悩むこのごろです。
開高健―眼を見開け、耳を立てろ そして、もっと言葉に… (人生のエッセイ)
開高 健 日本図書センター 日本図書センター
最高のアンソロジーかもしれない、でも、これが全てではない。
出版社の都合や商業主義から、多くの作品の中から「珠玉の名作」と称したアンソロジーが、数多く出される。多くは、売らんがための作品集であり、それは、本だけでなく、レコード、CDでもあることである。
私は、基本的に原典主義者であるが、本については、ちょいと違う考えを持ってる。音楽CDは簡単に検索可能であるが、本の場合、検索が大変なのだ。
で、昔読んだ「あるお酒の話はなんという本にあったっけ?」で自宅の本棚の前で呻吟する。
そういう点で、一応評価可能な選者によるアンソロジーは万全ではないがありがたい。
この本が開高さんの全てをカバーしているわけではないが、何冊かを枕元において目次を見る手間を省ける点では、助かる。
但し、私は、原典に当たっていない肩が、ここから入って開高さんを判断してしまうことは避けてほしいと思う。
精神の美食家たれ
いつも気になっていたけれど、やっと開高健に辿り着いた。
鶴見俊輔氏、ありがとうございます。
「書物は精神の糧である。誰もが軽く口にするこの句は重く切に事実であり、詩である。食べてみなければ好悪はわからないし、きめようがない。精神の美食家になり、大食家になること。一念発起。そこからである。-すべては。」
むちゃくちゃに精神の腹が空いてきた。
風に訊け (集英社文庫)
開高 健 集英社 集英社
息子にも読んでほしい。
人生相談に対する軽妙な回答。
でも、その軽妙な中にしっかりと腰を落ち着けた
開高健の優しいまなざしが見える。
「My Boy,もっと楽しめ」
そんなメッセージがこめられた本書を
息子たちが手にとってほしいものだ。
「漂えど沈ます」
「漂えど沈ます」とはラテン語でFluctuat Nec Mergitur。フランスのパリがその昔ルテチアと呼ばれた頃からのスローガンだったという。そして開高さん自らが回答者をつとめた雑誌『プレイボーイ』での人生相談コーナー「風に訊け」をまとめた本書によれば、「漂えど沈ます」がパリのたどった運命を言い当てていると思うと同時に「男が人生を渡っていくときの本質を鋭くついている」と感じ、この言葉を核として一作を書こうと開高さんは以前から考えていた。
「いまだに書けないで、こうして君たちの『よろず相談』をやっている。早くやめなければ、私は溺れてしまう。沈んでしまう。漂うてはいるが、沈んでしまう。波間よりはるかに贈る最期のあいさつを受け取ってくれたまえ。さようなら。アディオス」
…と記した、この文を読むと「漂えど沈ます」ということばの魅力と切実さが伝わってくる。日常にのんびり流されたり、非日常の激流に巻き込まれたりすると、漂ってはいるが、いつかは沈む。でも、沈まずに漂っていく生き方もあるのでは、という思いもある。開高さんは「漂えど沈ます」を実践できていたのではないだろうか。さあ、あとに続こう!
●追記:『輝ける闇』『夏の闇』というベトナム戦争をめぐる代表作の完結篇が『花終る闇』。「漂えど沈ます」ということばを新しい作品のタイトルに決めて書き始めようとして筆がとまってしまった作者。そこに『夏の闇』でともに暮らした加奈子という女性が海外から日本へ戻ってくる…、というストーリー。(開高さんはちゃんと作品にしましたね…)
島地編集長と開高文豪に大拍手
現実世界の喜と悲を机上ではなく真に深く熟知している人でなければ、書けなかった、そんな気がします。「そんな事どうでもええやないか」で済まされそうな質問の回答を一つの読み物に仕上げてしまう。数ある質問の中でも、特に、神奈川県茅ヶ崎市 牧洋子(ご存知のとうり、彼の奥方です)からの質問とそれへの回答、絶妙、島地編集長と開高文豪に大拍手です。この本の文章に出てくる洒落っ気、人と人の間にマタ復活して欲しいです。しかし、単に博識だけではダメなんですよネ、、、。
エッセイとしても良質
本書は読者からの相談に巨匠が答える人生相談の形式をとってはいますが、
巨匠の圧倒的な知識、ユーモア、人生観が反映されたその回答は、一つ一つが巨匠のエッセイとして読むに足るほどの濃密さです。
「オーパ!」や「輝ける闇」などの数多くの名作を残してきた巨匠ですが、
ちょっと敷居が高いかなと思っている方にも、軽妙な語り口でスラスラと読み進められる本書はオススメです。
連載自体はかなり前のようですが、今も色褪せずに、人生相談の本としても機能してくれることでしょう。元気になれます。
私の読んだ中で最もわかりやすい質問への回答
読者の質問や相談に対し、作家やエッセイストが答えるというのは、雑誌の定番の企画である。
この本は、比較的若い人向けであるものの、人生の達人のかなり刺激的な、答えである。
これを薬に例えるならば、かなり効き目が強いので、どんなに楽しくても、2〜3錠(話)にとどめておいた方がいいと思う。
ともあれ落ち込んでいる時にこの本をぱらぱらめくっていれば、「心の風邪」は簡単に治ると保証する。
サイゴンの十字架―開高健ルポルタージュ選集 (光文社文庫)
開高 健 光文社 光文社
長靴を履いた開高健 (ラピタ・ブックス)
滝田 誠一郎 小学館 小学館
参考になります
ゆっくり読みたい本です。
今まで知らなかった開高健に会えるかもしれません。
ともすると同じ話しばかり聞かされる事が多く有ると不満なあなたへ。
一読の価値はあります。
夜寝る前に毎日ゆっくりゆっくり読んでいたい、そんな本です。
知らなかった開高大兄が見えます
いつもだったら半日で読み終わるボリューム(頁数)なのだが、中々読み進めない! (流し読みできない)
文章は読みやすい(当然面白い)のだが、一話読む度に立ち止り、昔を思い出し感傷的になる。
一文一文が強く海馬を刺激し、懐古的憧憬に脳と心が支配される。
開高大兄のアンビバレントな魅力を再認識できる一冊、開高ファンなら思わずニヤリとするシーンが満載で、久しぶりに本棚に眠った大兄の本を取り出したくなった。
中高生の僕にとって、(強い憬れとともに)様々な意味で影響を与えてくれた人物「開高健」
文中に、大兄が37歳で経験した「完璧な、どこにも傷のない、稀な一日」の件を読み、その時の大兄に近い年齢になった今の自分を省みれば、未だ何も見つけていない事に焦燥感も覚える、しかし、今一度、初心に戻り、自分なりの「完璧な、どこにも傷のない、稀な一日」を探し求めてみたい。
モンゴル大紀行 (朝日文庫)
開高 健 朝日新聞出版 朝日新聞出版
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