ながい旅 (角川文庫) ながい旅 (角川文庫)
大岡 昇平   角川書店   角川書店  
気骨とか凛とか忘れ去られた矜持を思い起こす優れたドキュメンタリー
終戦直前、撃墜された米軍機の将兵を残虐非道にも日本刀で殺戮した事件があったことは知っていた。また、その責任者が戦犯として処刑されたことも知っていたが、この本を読んで、責任者である岡田中将は無差別爆撃をして民間人を殺傷した戦争犯罪人として米兵を扱ったことがわかり自らの不明を思い知らされた。さらに国際法上の非道さを法廷で理論整然と述べ「法戦」で日本人と日本陸軍の名誉を守ろうとした姿勢にうたれた。このような姿勢のリーダーは近頃とみに少なくなったと思う。なにかしらの責任を背負う時、繰り返し読み返したい本となった。
小さい頃世話になった名教師のアルバム写真を想いださせる岡田中将
大岡昇平氏の戦争モノでは、多くの読者さんらは「野火」「俘虜記」「レイテ戦記」を思い浮かべられるんちゃいますやろか。わては、シニカルで、かつどこかフランス哲学か何かの描出的な心理描写の文章が大好きなんですけども、「俘虜記」の横に並んでおった本書も買うてきて、読みました。最初は、大岡氏の晩年の比較的小品、くらいにしか思っておらず、読み出させていただきました。

「野火」「俘虜記」も大岡氏の実体験に基づくノンフィクション的作品と、読者はどうしても思いますけども、ほしたら、本作は岡田司令官に基づくノンフィクション作品。大岡氏の岡田中将への強い共感が感じられて、実に懐が深い作品じゃ。例年終戦のころになるとテレビでみる太平洋戦争関連の番組は、ともすると重い感じがせんでもないですけども、本作は、そういう意味突き抜けた感じがする。死や戦争のおろかさを感じさせるというよりは、超越した、強靭な岡田資氏の精神がすがすがしく、かつ共感に満ちて強く感じさせられる作品なんですなあ。

巣鴨の、岡田氏の亡くなった跡を今度訪ねたいと思うと共に、大岡氏のあのクールな、特にかなり軍執行部への批判的な「野火」や「俘虜記」での文脈は、何ゆえやったのやろう、と思います。大岡氏も歳を重ねて、愛国的なものに共感を深めていかれはったのか?あくまで、岡田氏への個人的共感なのか?戦後の不安定な世相で、大岡氏も本心を書けへんかったのかも、ということをほのめかすくだりも本書に出てきとります。

本書冒頭にある、岡田司令官の家族写真と戦中、戦後の写真、この厳しい中にも優しさを感じさせる写真は、わての小さい頃の、小学校の校長の厳しさと優しさを想起。実に含蓄が深い、夏の宝物のような作品です
岡田中将は立派だけど…
無差別爆撃を実行した後日本軍によって捕らえられた米兵を、軍律法廷にかけず、処刑したために、戦後B級戦犯として裁判にかけられた、岡田資陸軍中将の、「法戦」を描いたものです。大岡昇平さんの、岡田中将に対する敬意に満ち溢れています。
たしかに、部下のしたことで自分は関与していないと、責任を逃れようとする司令官にくらべると、全ての責任を背負おうとした岡田中将は立派だと思います。

ただ、現代の私たちからは、日本軍も重慶爆撃などを行った以上、米軍の爆撃を非難することが道義的にどうかな、とも思ってしまいます。そもそも真珠湾攻撃はアメリカに対する不法な侵略だという認識がないために、アメリカに関するかぎり、日本が被害者という面で見がちです。あるいは、本土で制空権がとれないのに、戦争をやめられなかった戦争指導者に問題があります。これは岡田中将の責任ではありませんが。
岡田中将の美しい生き方を淡々とした筆致で描く
 映画『明日への遺言』の原作です。

 名古屋の空襲のときに、不時着した米兵を処断したという罪状でB級戦犯とされ、刑死した岡田中将の裁判の様子を淡々とした筆致で描き出していきます。岡田中将は、裁判で、部下をかばい責任はすべて己れにあるとしつつ、無差別爆撃をした米軍もまた国際法違反であることを論理的に訴えていった人物です。

 著者は、なるべく正確かつ客観的に戦犯裁判の背景や岡田中将の発言、家族とのやり取り、遺書などを記していきます。冷静な筆致だからこそ、極限状況に置かれた中での美しい生き方、武人としての責任の取り方が浮かび上がり、胸に迫ります。また岡田中将が戦時中に置かれた状況の困難さと決断と行為の意味について考えさせられます。

 本書は、映画の公開に合わせて出版された新装版です。活字も文庫本にしてはそれほど小さくなく、読みやすいです。

 ただ、本書に収録された学者の解説は少々蛇足のように感じます。著者の大岡昇平氏が、なるべく賢しらな道徳的観点を交えず、ただ岡田中将の生きざまを描写しようと徹したのに対し、解説は、現代の視点から若干頭でっかちの論評を加えているように感じ、本書の趣が損なわれているように思います。

野火 (新潮文庫) 野火 (新潮文庫)
大岡 昇平   新潮社   新潮社  
深すぎる
「神に栄えあれ」で終わるこの小説は、数々のメタファーに満ち溢れ、特に最終章の意味するところは「深すぎて」消化しきれないものだった。
戦場で生き残り、飢えと乾きに朦朧としながらも野火の方角へ歩き続ける一等兵がいる。一等兵は人肉で飢えを満たすという欲望に突き動かされながらも、すんでのところで踏みとどまる。神の声を聞いたため、神が宿った左手が喰おうとする右手を押しとどめたため、と彼は考える。しかし日本兵を殺して喰っていた戦友永松から、無理やり「肉」を口に押し入れられ、久しぶりの脂肪を味わってしまう。このとき悲しみながらも「左右の半身は、飽満して合わさった」と一等兵は感じる。
野火を目指して歩いたのは、そこにいるであろう人間共を懲らしめ食べたかったのではないかという。しかし彼は死後、彼が殺した者達とともに「黒い太陽」を笑いながら見る。彼らが笑っているのは一等兵は彼らを「私の意志では食べなかった」からである。

戦場で人を殺しても、知らずに人肉を食べてしまっても、自分の意思で人肉を食べさえしなければ神に赦されるということなのか。このとき「自分の意思で人肉を食べない」ということは何かのメタファーなのか。
当分脳裏に留めておかねばならない気がする。

 
人間性を超えた生命力の凄まじさ
本書は、生還率3%と太平洋戦争中最も苛酷な戦場となったレイテ島において、
実際にあったと言われる兵士同士の人肉食いがテーマとなっている。
こういう事態が起こった背景には、補給を殆ど無視した軍の無謀な作戦によって
多くの兵士が飢餓状態に陥ってしまったという事実がある事を一応指摘しておきたい。
本書で描かれた兵士同士の人肉食いを通して、
極限状態に置かれた人間が、どこまで人間としての尊厳を保つ事が出来るのか?
そもそも人間性とは何かについて考えさせられる。
そして「人間はどんな異常の状況でも受け容れることが出来るものである」
という本文中の言葉から、人間性を超えた生命力の凄まじさを感じた。
文学作品としても再度棒線を引きながら熟読してみたい程、
文学的完成度の高い傑作だと思う。
死の淵で
『俘虜記』『レイテ戦記』とともに一度読んだら忘れられない作品.人が死を覚悟するとき,なお意味あるものとして見えるのは何なのか,を精確なカメラでみるように,映し出す.逃れるために,研ぎ澄まされた作者の目に映る,様々な山中の地形.その不安なパノラマの中に出現する得体の知れぬ野火.その火に向かって野を分け入ってゆくときの戦慄.

必要最小限の描写にもかかわらず,行ったことも見たこともないフィリピンの自然と地形が,フィリピンの山中の木々が,今そこにあるように,文章の中から立ち現れてくる.その地形の描写が,背後にある主人公の死の意識を照らし出すその喚起力の確かさ(hauntingという言葉はこのような経験を描写する言葉ではないだろうか).主人公の山中の彷徨を,抑制された筆で,「自然科学的に」たどる,その記述のもたらす緊張感は,何度読んでも感嘆するしかない.傑作.
戦中のヨブ記!
大岡さん自身、青山学院時代に
キリスト教に傾倒していた頃があり、それがよく作品に表れています。
神について、外国と同じように論じることが目標だったと
インタビューで述べていましたが、随所にキリスト教を彷彿とさせます!
大岡さんも、実際にフィリピンに行っているので、
祖母の兄も、このような中で死んでいったのかなと悲しくなりました。
体験を背負って記述されているので
物語でも真実がこもっているように思います。
生死をかけた中で、昔の女性を思い出したり、
子供時代に通った教会と聖書の言葉を思い出し、
神の呼びかけを聞こうとしても、神は沈黙したまま、
何か道しるべを見出そうとする様子は、絶品でした。
まさに、戦中の日本人によるヨブ記という感じです。
実際、この本の冒頭で、聖書の引用が使われている点にも注目です。

日本人として誰もが一度は読むべき本
太平洋戦争で召集され、敵地で捕虜になりながら脱走して復員してきた叔父に戦争中の話を聞かされたことがある。その叔父も故人となり戦争体験を直接話してくれる人も周囲には殆どいなくなった。
政治家や軍人から見れば、避けられなかった戦争かもしれないし、彼らなりに大義名分が有ったのかもしれないが、戦争の進め方、終わらせ方が褒められたものでなかった。
ましてや、召集され、戦地で国家から死を強制された一般の国民にとっては、おきてほしくなかったものだった筈だし、今後も戦争は二度と起きてほしくないものだと思う。
物語は、一兵卒の戦地での絶望的な話だが、薄っぺらなナショナリストたちの被害者・加害者論や、表面的な善悪論などを遥かに超えた、極限状態での人間の精神の普遍性を見事に描ききった貴重な文学作品だと思う。
戦争や飢餓が遥か遠くのものになったと思い込んでいる若者や、好戦的な態度が普通の国家などと主張している自称文化人は、今の時代だからこそ本書を読むべきだと思う。

俘虜記 (新潮文庫) 俘虜記 (新潮文庫)
大岡 昇平   新潮社   新潮社  
俘虜たちの収容所生活をシニカルに描写
著者は大戦末期の昭和19年にフィリピン・ミンドロ島の戦地へ送られるが
米軍の俘虜となり、収容所で約一年間過ごすことになる。
本書はその収容所での体験記が大部分を占めるが、
そこでは我々がイメージする収容所の過酷さや悲惨さは殆んど無い。
俘虜達は、十分過ぎる量の食事を与えられたために次第に肥えていき、
喫煙しないものにも配給される煙草を賭博に用いたり、
干しブドウから酒を密造したり、米軍の物資を盗んで貯め込んだりしている。
そういった俘虜達の強かさや堕落した姿がシニカルに描かれており、
これはあとがきによれば俘虜収容所の事実をかりて、占領下の社会を諷刺するという意図もあったようである。
著者はフランス文学翻訳家でもあり(著者翻訳によるスタンダール作品に接した人もいると思う)
その語学力を買われて収容所では通訳となり肉体労働を免除されたりしている。
また、著者が春本(チャタレイ夫人の恋人を下敷きにしたりした)を書いて
収容所内での流行作家になったエピソードなども非常に興味深い。


俘虜としての生活の記録
米軍に捕まり俘虜(捕虜)となり収容所に送られるところから始まり、残りの大部分は収容所での生活について書かれていて、最後に日本に帰還するところで終わる。
戦争小説というよりは、収容所の生活の記録という感じで、特に周りの人の戦歴・性格などを細かく書いている部分が多かった。

読んでみて、筆者は人のことを見抜く洞察力と記憶力が抜群に良いなぁ、と感心した。
もともと三冊だった本を一冊にまとめたものらしく、たまに被っている描写があり、何よりページ数が多くやや冗長とも感じたが、最後まで読みきると、あたかも自分もそこで生活していたかのような気分にもなった。
当時の空気を感じることができて、そういう意味では、とても面白い本だと思う。
名著
この「俘虜記」は、「野火」よりいっそうシニカルだ。特に、序盤の俘虜になるまでに、草むらから目の前まで接近した若い米国兵を大岡氏が撃たなかった心理描写は、今なお名作の誉れが高い。ヨーロッパ旅行中に読んだが、異国に居る自己を見つめなおす気分が、大岡氏の心理描写に実にぴったり来て、飛行機の中でグングン読み耽ってしまった。

俘虜である自分たち自身についても批判的で、厳しくドライな気分が行間から読み取れるが、日本軍指導部の批判は実に手厳しく、愚弄、と大岡氏に一刀両断されている。対戦国の米国の民主主義には、実に好意的だ。終戦近くに30歳過ぎて参戦した大岡氏は、それほど日本の軍隊に心から失望し、自由の国アメリカの寛容に心酔していたのだろうか?「俘虜記」は戦後まもない作品で、解説にもあるが、進駐軍に遠慮もあったらしい。

大岡氏は、愚弄な作戦を痛烈に批判した。その中で、超然とした誇り高い人間性に深い共感をもって後世の私に伝えてくれた。こうした、大岡氏の置かれた時代も知った上で、なおかつ本作のシニカルで鋭い感性に溢れた人間観察の文章は、ときに爽快であり、ときに今の時代にも通じることを言われており、極めて示唆的である
俘虜とは何だろう?
 私の父はソ連の収容所に2年間抑留されていましたが、カスピ海沿岸のグラスノボツク(今ではトルクメニスタン国)だったので気候も温暖で、所謂シベリア抑留者の悲惨さは経験しなかったと言っていました。本書はフィリピンの収容所が舞台で、民主主義国家米軍の下だったこともあり俘虜の待遇はソ連軍よりもよかったようです。例えば米軍と同じ服、一日2700カロリーの食糧が与えられ、干し葡萄からワインも密造していました。父もここまで楽はしていなかったでしょう。
 そんなこんなで興味深く読めたのですが、読後、著者はいったい何を一番伝えたかったのだろうという気がしてなりません。俘虜生活の実態?戦争の馬鹿馬鹿しさ?それをとめられなかった国民のだらしなさ?軍隊の不条理?米軍の寛大さ(イラクを見る限り今のがひどい)?それとも通訳として米軍と俘虜の間に入った辛さでしょうか。ところどころに顔を出す、著者のシニカルな視線はそれらいずれをも感じさせています。でも、数多ある戦記ものから本書を際立たせているのは、俘虜という状態が彼らに与えたものが、解放後もなお彼らを支配しているのではないかという指摘だと思います。そのものというのは明示されていませんが、次の一節にヒントがあるのかもしれません。

 「我々にとって戦場には別に新しいものはなかったが、収容所にはたしかに新しいものがあった。第一周囲には柵があり中にはPXがあった。戦場から我々には何も残らなかったが、俘虜生活からは確かに残ったものがある。そのものは時々私に囁く。「お前は今でも俘虜ではないか」と。」

 10年後再読したい本の一冊です。
私にとっては小説でなくノンフィクション
私はこの作品をノンフィクションと思い込んで読み始め、カバーに記されている解説により、読み終えた後になって初めて、著者の従軍体験に基づく連作小説であると言うことを知ったのである。しかし、今でも私にとってはノンフィクションであり、どこが虚構に当たるのか、全くわからない。少なくともこの作品を小説とするなら、ジャーナリストの書いた記事でも小説に分類されてしまうものが多々存在することになると思う。

部隊から外れ一人戦場を彷徨っていた著者が、林のへりに倒れ込んでいた時に米兵が現れる。米兵は著者に気付かないのだが、著者は銃の安全装置を外すも結局射たないのである。この「なぜ射たなかったか」についての省察に数ページ費やされていることが、唯一のノンフィクションらしからぬ箇所であろうか。

タイトルから察せられるように、書かれていることの大部分は俘虜収容所内のことである。そして「阿諛」と言う言葉が何度も出てくるが、これが日本人の集団秩序の維持に重要な役割を果たしていることもわかる。戦場と言う極限状況下、収容所内で新たな秩序が形成されていく過程、米兵との対比などを通して、日本人と言うものを見つめ直すことの出来る好著である。


事件 (新潮文庫) 事件 (新潮文庫)
大岡 昇平   新潮社   新潮社  
日本のミステリー史に残る傑作
時は昭和36年、神奈川県の田舎町で19歳の真面目な青年が、付き合っていた女性の姉を刺殺してしまう。
逮捕された青年は犯行を認め、事件は一見単純なものに見えたが、裁判の過程でいくつもの新事実が明らかとなり、事件は複雑化し謎を深めていく。
証人達から巧みに新事実を引き出し被告人を有利に導いていくベテラン弁護士の鮮やかな手腕は圧巻であるが、
一方で事件の真実に到達する事の難しさと限界を痛感させられる。
そして人が人を裁く難しさについて色々と考えさせられる。
「真実は結局はわからない、というのは判断の停止を意味するから、裁判官は言ってはならない。しかし真実に対して謙遜な気持を失ってはならない。」という裁判長の言葉に、示唆を含んだ思慮深さを強く感じた。
ちなみに本書は日本推理作家協会賞を受賞しており、日本のミステリー史に残る傑作。


『フィクションとしての裁判』~「事件」とは何か
神奈川県の田舎町で起きた19歳の少年による恋人の姉殺害事件での、事件発生から少年の殺意の有無をめぐる裁判とその判決に至るまでの過程を、フィクションとは思えないような抑制の効いた、圧倒的なリアリズムで描いています。
つまりは殺人か傷害致死かを争うだけの話なので、裁判小説と言ってもそのプロセスでの“意外性”は限定的で、ペリー・メイスンのようなミステリーとはまったく趣を異にします。しかし、一般にはあまり知られていない裁判の進行模様が、個性的な登場人物のおかげもあり面白く読めます。そして最終章でこれほどウ~ンと唸らされる小説というのも少ないのです。そのウ~ンは、ミステリーとしてのウ~ンとは別物です。「事件」とは何かを考えさせられるのです。
一般に殺意を裏付けるものは“動機”と“状況”なのですが、大岡昇平とこの小説を執筆した際のアドバイザーの1人だった当事俊英の弁護士・大野正男氏(後に最高裁判事)との対談『フィクションとしての裁判』を読み、大岡が執筆の途中で主人公と被害者の関係に重要な修正を加えたことを知り、それがラストのウ~ンにも繋がるのかなと思いました。最初からミエミエなら、ここまで唸らない。タイトルが『事件』のテーマを暗示しているとも言えるこの対談集は、残念ながら絶版中ですが、司法制度改革に関連する話題もとり上げているので、文庫化してもらえればと思います。
刑事裁判の本質と限界に迫る傑作
それは、どこにでもある平凡な殺人事件のはずだった。証人、自白・・・、検察官の立証は万全のはずだった。しかし、公判が進むにつれて、検察官の描いたストーリーは崩れ、事件の意外な真相が明らかになってきた・・・。
刑事裁判がどこまで事件の真相に迫ることができ、どこに限界があるかを、リアルな法廷シーンを通じて問う、日本の裁判小説の中でも最高の部類に属する傑作。裁判員制度が導入されようとしている今、刑事裁判というものについて考える上でも非常に参考になる1冊。
到達しうる真実とは
小さな町で起こった少年による痴情殺人事件の裁判をドキュメンタリタッチで追っていく小説。日本の司法制度や裁判官、弁護士、検事の基本的性質が細かく説明をされている。ある証人の発言から真実が徐々に明らかにされている。裁判でどこまで真実に迫れるのか、神のみぞ知る真実にどう迫るのか、を考えさせられる小説。
圧倒的なリアリティーで描かれる「裁判」、法廷小説の古典!
事件とは何か?
犯罪を犯したから事件になるのではない。
裁判で刑が確定した時に事件となるのである。
裁判の刑とは、真実なのか?
裁判とは公正なのだろうか?

神奈川県の小さな町で殺人事件が起こった。成人前の若い男性が起こした殺人事件である。この事件の真相は検察官と弁護士によって次第に明らかにされてゆく。この「裁判」を、読者は、傍聴人と同じ立場で、見守るのである。
圧倒的なリアリティーで描かれる「裁判」。
事件とは何か?罪とは、罰とは?さらに真実とは何か?公正とは何か?

社会を支える司法制度を我々にも分かりやすく、解き明かした傑作。
推理小説としても日本推理作家協会賞を得るなど第一級のエンターテイメントである。

時間があれば、是非に読んでほしい小説です。


レイテ戦記 (上巻) (中公文庫) レイテ戦記 (上巻) (中公文庫)
大岡 昇平   中央公論新社   中央公論新社  
不朽の戦記文学
元々フィリピンではルソン島において米軍と決戦する予定で、レイテで戦うことにはなっていなかった。なのに「台湾沖海戦」大勝利の誤報を真に受けた大本営が山下奉文司令官や武藤章参謀長の反対を押し切って挙行したのがレイテの戦いである。

このにわか仕立てに決定された作戦の結果、無意味に死んでいった兵士がいると著者は書いた。しかし、たとえその死が無意味であったとしても、夫や息子がどこでどういう風に死んでいったかを遺族は知りたいと思うだろうし、死んでいった兵士も知って欲しいと思うだろう。

著者は自ら事実と判断したものを出来るだけ詳しく書いて75ミリ野砲の砲声と38銃の響きを再現したいという。それが戦って死んだ者の霊を慰める唯一のもので、そしてそれが著者にできる唯一のことだからと。

上巻では主にレイテ島での戦いが始まるまでの経緯と海軍の奮戦、神風特攻隊の登場、そして地上戦で最も激しい戦いとなったリモン峠の戦いを途中まで描く。
克明で分析豊かかつ兵士の目線で
資料を基にした克明な記録に加えて、「もしあの時〜だったら・・・」という分析が興味深く、どきどきしながら読むことができました。
例えば、台湾沖海戦の大勝利が誤りだと陸軍が知っていたら、レイテ島は決戦の場とならなかったろう、もしも連合艦隊がレイテ湾に突入していれば・・・というように。
日米両軍の各師団、大隊、中隊、小隊の動きがここまで詳細に記されると、戦争が局面局面での戦闘の集合体であることがリアルに実感でき、手に汗を握ります。そして律儀に並べられる各戦闘での死者、負傷者数が単なる数字ではなく人間一人ひとりなのだと感じます。
『俘虜記』『野火』と読んできて、大岡氏はてっきり厭戦思想の持ち主かと思っていたのですが、単純にあの戦争を全否定するのではなく、よく戦った兵士達を賞賛しています。例えば神風特攻の若者たちにはこのような言葉を贈っています。
「想像を絶する精神的苦痛と動揺を乗り越えて目標に達した人間が、われわれの中にいたのである。これは当時の指導者の愚劣と腐敗とはなんの関係もないことである。今日では全く消滅してしまった強い意思が、あの荒廃の中から生れる余地があったことが、われわれの希望でなければならない。」
とにかくすごく調べている
 とにかくすごく調べている本。小説、ってなっているが、明らかに戦記ものだと思う。
 「あんまり軍人が出鱈目を書き続け」ているのが執筆の動機らしい。「旧軍人の書いた戦史及び回想は、このように策を加えられたものであることを忘れてはならない」と手厳しく批判し、日米のあらゆる史料を全て調べ上げ、ウソを見抜こうとしている。しかし、あくまでも一兵士としての視点を保ち、死んでいった兵士たちへの鎮魂の想いだけが際だっている。その鎮魂の対象には、米軍の兵士も含まれる。
 個人的に面白かったのはいわゆる「栗田艦隊謎の反転」の見解。一般的には「現在でも謎」になっていると思うのだが、「栗田艦隊の戦意不足、レイテ湾に突入の意志の欠如」と結論づけている。ま、疲れていてやる気がなかった、ということなんだけど、なんか身も蓋もない気がする。
我が座右の書です。
学生のときに暇にまかせて読み通してから十数年。毎年一度は通読している。日本帝国陸軍の無責任体系といわれる組織構造、作戦立案に見られる日本人の思考方法、非合理な玉砕精神を可とし、合理的な慎重論を怯懦と罵る。下っ端の会社人間としては、「日本人の組織というのはどうして今も昔もこうなのだろう」と軍隊と会社との酷似に暗然とする。「レイテ島の土はその声を聞こうとする者には聞こえる声で、語り続けているのである。」(エピローグ)我々は謙虚に耳を傾けて来ただろうか?あの戦争から何かを学ぶことができたのだろうか?この本は常に我々に問いかけるのだ。
冷徹なデータと鎮魂の意志
 本書は分類としては戦記でなく小説ということですが、そのことをもって本書を避けたり見下しては絶対にならない、我が国にもこれだけの優れた戦記、本物のジャーナリズムがあるのだと誇りにしたい作品だと思います。

 少ない史料を漁り真偽を検証しながらの、冷徹なデータ集めを下敷きにしていますが、著書をしてそこまでさせたのは戦友に対する真摯な鎮魂の意志です。そして、戦後の日本やフィリピンを鋭い眼で見守り、歴史を正直に評価して未来に活かそうという心でしょう。

 とても長くてデータが多く、細かく読もうとすると大変なのですが、ざっと目を通すだけでも非常な価値があると感じます。


成城だより〈上〉 (講談社文芸文庫) 成城だより〈上〉 (講談社文芸文庫)
大岡 昇平   講談社   講談社  
ファンは手元に置いておくべきです
日記体の雑感集
著者70歳の1979年から1985年まで、楽しげに語られている
著者の読書量と好奇心の広範さにはビックリするが、
読んでいるこちらも楽しい気持ちになってくるのは、
自分をすっかり客観・相対化した書き方だからかもしれない
「俘虜記」の面白さもそんなところから出ているのでしょう

大岡昇平という人は当然、誰もが認める大横綱ではあるんですが、
俘虜体験や小林秀雄・中原中也との関係があるせいか、
本人にはその自覚がほとんど欠けているような気がします
だからあんな文体になってくるのでしょうか

上下巻買ってたまに拾い読みするくらいなので通読はしてませんが、
ファンは手元に置いておくべき、と思います

大岡昇平 (ちくま日本文学全集) 大岡昇平 (ちくま日本文学全集)
大岡 昇平   筑摩書房   筑摩書房  

花影 (講談社文芸文庫) 花影 (講談社文芸文庫)
大岡 昇平   講談社   講談社  

武蔵野夫人 (新潮文庫)
大岡 昇平   新潮社   新潮社  
心理小説の試み
 土地の人はなぜそこが「はけ」とよばれるか知らない・・この見事な書き出しで始まるこの物語は
武蔵野の自然のなかに男女を配し心理の綾をつむぎだしていく。しかし道子と勉の恋が鮮やかに進行
しないのはこの広大な自然にちっぽけな人間がのみ込まれてしまうせいなのだろうか。この自然に
抗しきれないのであろうか。靄のなかに点々と浮かび上がるパズルのような人物。ややもすれば
類型に陥ってしまいそうな人物。物語も人物も皆武蔵野の中に消えていく・・。
 この小説は大岡昇平の卓抜な文章力によって、読みつがれていくのであろうか。
鋭い観察眼で冷静かつ正確に描かれた恋愛模様…おもしろいです!
 
 武蔵野を舞台に、親戚・夫婦男女5人が入り乱れる恋愛心理小説。
 
 媚態、虚栄、保身…。恋愛にまとわりつく、決して美しいだけではない感情が、短めの文章で冷静かつ正確に描かれています。

 男女五人を見る作者の目は、かなり平等で、誰か一人に偏るということがありません。男性作家だというのに、女性たち、とりわけ富子の心理描写が秀逸で、舌を巻いてしまいます。

 鋭い観察眼による、無駄のない見事な文章にのせられ、あっという間に終幕まで連れてこられます。
『真珠夫人』より味わい深い
 「復員」などという言葉は辞書を引かぬと理解できぬ21世紀の人間にも読んで十分ためになり、多くを考えさせる小説。戦争直後の日本の若い男女の心理がフランスの小説の技法を使って描かれる。しかし、それでもこれは紛れもない昭和20年代の日本を舞台にした風俗小説である。死ぬことが現実逃避ではなく、現実と対峙することでもあるのだと教えてくれるだろう。
 死ぬことを覚悟して出征したが、生き残って日本へ戻ってきた若者は何十万人もいたであろう。生きていることのとまどい、生きていることの意味など、読者に考えさせずにはいない。『真珠夫人』とはその真面目さにおいて比べものにならない。
レイテ戦記の大岡昇平作
 主人公道子は復員したいとこの勉と不義に陥りそうになる。「恋愛は文明の産物ですから、最初は他人から教わるほかはありません」という作者は、この内的行為を裸形にしようとする。するとあらわれるのは何か、エゴイズムか、もっと社会の必要に縛られた他の理由か。誰も問わない、何も答えない。そういう何も見出せないもののなかで、道子は死ぬしかない。生きる理由を一歩ずつ奪っていくようにかんぜられるところに、ちょっと類のない味わいがある。フランス心理小説の手法を踏まえた野心的なロマン。


戦争 (岩波現代文庫) 戦争 (岩波現代文庫)
大岡 昇平   岩波書店   岩波書店  
「権力はいつも忍び足でやってくるんです。」
 作家の大岡昇平がみずからの戦争体験を赤裸々に語っている聞き書きです。
 これが初の文庫化と知っておどろきました。
 わが国の戦争文学の定番である『俘虜記』と『野火』を読んだことがある人は、語られた事実にたいして、いっそうの興味をおぼえるだろう。
 太平洋戦争末期に35歳で陸軍に召集されたスタンダール研究者の冷徹にして精細な観察と、淡々とした自在な語り口の魅力。
 読みやすい。
 おもわず引きこまれる。
 考えさせられる。
 たとえば、
 
 「軍隊というのはとにかく一つの組織だから、この中の悪いことは、世間一般にあるのと同じなんですよ。」

 とか、

 「戦争とは国家の暴力の顕在化したものですが、対外的には戦力という暴力が使われるが、対内的には兵役強要の形で出る。二重構造になってるんですが、これが一緒に崩れるんだな、負け戦になると。」

 といった的確でするどい発言に何度もハッとさせられる。
 これは名著といってよいかと、私はおもいます。
淡々としてて良い
題名は、戦争。しかし大岡氏は戦前の暮らしから徴兵後の大変な日々を淡々と語り、飽くまで非常に冷静なところが、この書を読みやすくさせていると思う。
ただし観察眼は、鋭く、旧軍の抱えていた大きな矛盾や無能な大本営等に対して語るときには、べらんめえ調で批判しているのは、印象的。彼らの世代全員がそうではないのだろうけれど、彼の目には、自衛隊は、完全に巨大な軍事組織として写っており、自衛隊の存在を当たり前のように考えている私たちとは、感じ方が違うのだなと思った。また占領軍である米軍にも批判的な目で見ており、このようなバランス感覚のある知識人がいたのにも関わらず、愚かな戦争が防止できなかったのは、やはり時代の空気だったのだろうか。
「大岡昇平」という人と考え方
タイトルの「戦争」という言葉からすると、固い本のようなイメージがありますが、実際は、インタビューから質問の部分を削除した形で作られた本で、しゃべり言葉で書かれていて、非常に読みやすい本になっています。

語られている内容も、大半が、「野火」「武蔵野夫人」の作者大岡昇平の青年時代からの生い立ちや生き方、考え方の記録です。その後、従軍し俘虜になって帰国してから、「俘虜記」等を書いてゆく状況や動機が書かれています。
最後に第五章になって、ようやく「戦争とは」ということで、戦争体験者として「戦争」についての考え方が述べられています。
人間の闘争本能が「戦争」を引き起こすのではなく、「そろばんをはじいてやることを、攻撃性という個人の心理の中へ擬態的に持ちこんでごまかすんです。」と、国家と個人の関係を明確に語り、「反戦」の考え方を語って行きます。

大岡昇平の作品群を考える時、どうしても「武蔵野夫人」という作品が、そのほかの作品から離れているように感じるのですが、もともとスタンダリアンだということを知ると、なるほどと納得しました。

1   |   2   |   3   |   4   |   5   |   6   |   7      »      [40]
合計件数:398  合計ページ数:40