源氏物語 1 (1) (新潮文庫 え 2-16)
紫式部 新潮社 新潮社 円地 文子
読み物としての源氏物語の最高峰
ようやく大活字版で再版しました、円地文子さん訳「源氏物語」です。
国文学者玉上氏(この方は角川版源氏物語を訳されている)の力を借りて
5年の年月をかけて全巻現代語訳した労作。
非常に格調の高い訳文で一番読みやすい源氏物語だと個人的に思います。
この訳文の特徴は訳者本人の主観の訳を所々に忍ばせてあること。
もっとも本文を改変するのではなく奥行きを深くしたり
現代人にわかりやすい表現であって却って良心的な改変でしょう。
例をあげるなら若菜の「男女の仲が狭まる(直訳)」→「世の中が狭まる(円地訳)」
玉上さんが源氏物語訳注の解説で「男女の仲は平安女性の世の中に等しい」と
おっしゃっていたのを後に読み、「なるほどなあ」と感心した訳文です。
レビューで書きましたとおり玉上版源氏物語とリンクした訳文です。
両者を比較するのも楽しいです。
当然単品で読んでも十分源氏物語の真髄を味わえる名文ですので
源氏物語初心者にもお勧めします。
源氏物語 2 (2) (新潮文庫 え 2-17)
紫式部 新潮社 新潮社 円地 文子
源氏物語 3 (3) (新潮文庫 え 2-18)
紫式部 新潮社 新潮社 円地 文子
源氏物語 6 (6) (新潮文庫 え 2-21)
紫式部 新潮社 新潮社 円地 文子
女坂 (新潮文庫)
円地 文子 新潮社 新潮社
明治期の女性の生き方を凄まじい筆力で描く傑作
主人公の倫(とも)を中心に、須賀、由美、美夜、悦子、瑠璃子たち……明治期の女の物語。
倫は激情を厚い氷の下に落としこんで生きてきた。夫の行友(ゆきとも)に仕えながらも生々しくわきあがる嫉妬。倫はそれら全てを心中にしまってきた。こうして溜められたエネルギーは結末近くの二人の白刃のごときやりとりにつながってゆく。
私が一番好きなのは、倫が独りで坂を登る場面。闇と光、冷たさと暖かさ、絶望と希望の交錯。ここは倫の道行きに見える。
刊行は昭和32年。半世紀前の作品のため文中には初めて聞く風習や言葉も多いが巻末に注解が有るので不便はないし、むしろ知の幅が広がる。素直に著者の違う作品も読んでみたいと思わせる凄まじい筆力。第10回野間文芸賞受賞作。
衒学的でない生きたコトバの重み
なんでこれが絶版?なのでしょうか・・・
どうでもいいつまらない本が氾濫する傍ら、このような本が
ことごとく文庫でさえ入手が困難になる状況。溜息がでます。
江藤淳氏が評するように、今では殆ど意味のわからないような
言い回しや風俗への叙述も、借物でない肉化した言葉として
独自の触感を与えます。
円地文子の源氏物語 (巻1) (わたしの古典 (6))
円地 文子 集英社 集英社
最高の源氏物語「入門書」
急いで源氏物語全体を知りたい、そんな必要性にかられて本書を手にしました。円地氏には別に全訳が10巻でありますが、これはさらにそれを3巻にまとめた「縮訳版」その1です。本巻は54帖のうち「桐壺」から「関屋」までの16帖。
高校の時、古文の授業で「桐壺」に触れましたが、確か古文の中でも源氏物語は上級コース。読み下すのに大変苦労し、その後すっかり敬遠。どうせ光源氏が次々に女性と関係していく話だろう、程度に思っていたわけです。
ところが、本書を読み進めるうちに、先人たちが「雅の世界」と激賛するわけがよく分かりました。とにかく美しい。人物描写も風景描写もその表現力には脱帽です。ストーリーも、有り余る登場人物の個性の描き分けが十分で、またその人物たちの関係が決して破綻せずに物語が展開される。遠い先の話の伏線がかなり前の帖ではられていたりする。紫式部が日本を代表する女流文学者であることを心から納得し、千年を生き抜いた名作とはこういうものなのだ、と感服致しました。つまり本書は「縮訳版」とは思えない出来なのです。著者によれば10巻を3巻にまとめるに当たっては、儀式・行事・宴などの情景描写を割愛したそうです。
個人的には本巻の中では「夕顔」「末摘花」「葵」「須磨」「明石」の巻に胸打たれ、源氏が母の生き写しと憧れた藤壺の宮と結ばれる「若紫」では、大胆ながら優雅なラブシーンが展開されます。
円地氏が前書きに言われているように、源氏物語を全訳されるにあたっては網膜剥離にまでなったこと、そして本書の著述は口述筆記で完成。まさに体を賭して「若い人たちのために」書き下ろされた本書は、著者の意図通りに時代を超えて源氏物語ファンをさらに広げる内容であると思います。
源氏物語 (学研M文庫)
円地 文子 学習研究社 学習研究社
源氏物語 4 (4) (新潮文庫 え 2-19)
紫式部 新潮社 新潮社 円地 文子
若菜から幻・・・そして雲隠
円地文子さん現代語訳源氏物語の第四巻。
若菜上から幻、そして雲隠までが収録されています。
藤裏葉で権力の絶頂を極めた光源氏は内心ないがしろにしていた
兄朱雀上皇の娘の女三宮を娶る。
最愛の妻の紫の上との齟齬とそして彼女の病。
父ほども歳の離れた夫に愛されなかった三宮は
身勝手な横恋慕男の柏木と関係を強いられ薫を生み
業苦から逃れるように出家する。
そして最愛の紫の上と死別した光源氏は世を捨てる決心をする。
心理文学としてこの巻に納められている部分は世界文学史上最高なのかもしれない。
源氏は小娘と侮ってさらさら愛していない三宮の不義(実はレイプに近い)を知った時
己と藤壺の宮の不義を反省するのだが、その罪を棚上げにして三宮、柏木はおろか
かつて寝取った兄の寵姫、朧月夜すら見下したりする。
その朧月夜は源氏をあざ笑うかのように出家し、紫の上の執着の為に現世に残る源氏は
ますますエゴをむき出しにしていく。
源氏のプライドと老いの哀しみと愛する妻の死に対する焦燥はすさまじく
周囲の人間を巻き込み彼らの生活を破壊していく。
だが本当に愛した紫の上の死後は思いどうりになる世界を捨ててひたすらに嘆いていく。
どんな権力者でも人間はちっぽけな存在なのだと作者は言っているようだ。
このあたりから世間のそして相手から見えない心の奥底が真実である展開が多い。
自分勝手な思い込みが次々と悲劇を生み相手も周囲も不幸に落としていく。
源氏は最後まで三宮と柏木の関係が普通の恋愛だと思い込んでいた。
紫の上は老いた自分が源氏にとって取るに足らないものだと思い込み病になる。
どうしても他人と自分が分かり合えない世界の悲劇。
見える世界しか信用できない人間の悲劇。
この巻末に大塚ひかりさんのエッセイが載っている。
源氏物語現代語訳の最中に目を悪くされた円地さんが人に朗読してもらって
口語訳をされていたことを知り驚き感動した。
何不自由ない五感の自分にはわからない世界で
紫式部が見た「人の深遠」を円地さんは見ていたのかもしれない。
なまみこ物語・源氏物語私見 (講談社文芸文庫)
円地 文子 講談社 講談社
『源氏物語』登場人物評
『源氏物語』の現代語訳をしている著者の「源氏物語私見」が収載されている。「空蝉の顔かたち」「夕顔と遊女性」「紫の上のヒロイン性」等平易に書かれているが、「六条御息所考」は綿密に考察されている。一般に、仏教的に見て、女の暗い業の典型と見下げられているが、巫女的な能力を光源氏に及ぼしている六条御息所の存在は、全編を通じて不協和音になり、それがかえってこの物語のシンフォニーを完成しているとみなしているところが卓見である(雅)
妖・花食い姥 (講談社文芸文庫)
円地 文子 講談社 講談社
絶版になっている理由
円地文子は高名なのに現代では絶版となっているものがほとんどで、読むことができない。今回、この文庫で読んでみた限りでは、時代に合わなくなっているので絶版の納得ができた。
離婚したくてもできない女性、横暴な男性、また、時代の転換期に生きあわせ孝心を期待できなくなった老女の物語群であった。
結婚生活が横暴な男により不幸になるというのも紋切り型に思える。恋愛結婚も誤ることは多いが、家同士のしがらみなどが弱まり社会構造がかわり、無理に結婚しなくてもよくなったことは現代のやはり僥倖で糸口がみえたのだ。もちろん同様の問題は形を変えて息づいてはいるとは思われるが。子に対する恩を要求する道徳というのも現在ではあまり受け入れられないだろう。老女の造型も魅力に欠ける。無償の愛が期待されている子育てを見返りでする、(岸田秀など)と非難されることも多い。
その間に果たされなかった性的な妄想などが入り込み、そんなに性にばかりとらわれて生きているのでもないはず、と恥ずかしくなってしまった。女性作家は現代の人のほうがうまくなっているように思う。
著名な国文学者の娘としての回想記のほうは斉藤緑雨も登場し価値があると思う。ほか正宗白鳥が褒めた「ひもじい年月」はさすがに興ざめな人生がよく描かれていると思うが、全体として七光りがあった人ではないだろうか。
二世の縁
読んだのは「二世の縁」だけですが良い作品でした。江戸の古典「春雨物語」に材をとったもので即身仏となるべく地中に埋められていた男が死から蘇って二つ目の世を生きるという話。何がし仏の縁があったのであろうと初めは噂しあった村人も、仏どころか実際まったくの凡夫であるこの蘇った男にあきれ返るという、筋書きだけを読むと何でもない話。古典に良くある結末や落ちのない構造だが、死者がある日蘇って他の村人に混じって普通に生活をはじめる、という設定がまず不気味だ。描写としては地中でカラカラに干からびていた男が徐々に水分を吸収しながら人間に戻っていく場面が秀逸。
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