余は如何にして基督信徒となりし乎 (岩波文庫 青 119-2) 余は如何にして基督信徒となりし乎 (岩波文庫 青 119-2)
内村 鑑三   岩波書店   岩波書店   鈴木 俊郎  
古めかしい翻訳だが、内容が実に面白い。英語版が欲しい!
札幌農学校で外国支援を受けぬ日本人教会設立に奔走する著者の努力に敬服した。私自身地元の教会の草創期に関わった者として、多くの共通点を見出し、いやが上にも共感を深めた。もったいないから未だ読了していませんガネ。
アメリカに留学する人に是非とも薦めたい本
表題の通り、キリスト教徒としての著者の内面の軌跡をつづった本だが、キリスト教信仰に留まらず、広く訴える内容をもった本である。特に比重が大きいのは、アメリカ体験と「日本人」としての自我の探求というテーマだろう。

札幌農学校でキリスト教に触れた内村は、無垢で非現実的な「キリスト教国」のイメージを抱いて海を渡る。しかし彼は、金銭が支配するアメリカ社会に幻滅し、「日本人」としての自分を見出して日本に回帰する。内村はアメリカのキリスト教徒の偽善や、「異教国」に対するいわれなき優越感を、真のキリスト教に反するものとして激越な調子で批判し、イエスと日本という「二つのJ」のみに仕えることを誓い、無教会派キリスト教の立場に到達する。内村のアメリカ批判は、当たっているが激越であり、その反動か、彼の描く日本は、現実離れして牧歌的である。

内村の心の葛藤は、容易に海を渡れる今日から見れば、必要以上に肩肘を張った大袈裟なものにも見えるだろう。しかし、留学にかける彼の志の高さや、キリスト教と日本人としての自我を調和させようとする真摯な努力には、やはり我々の胸を打つものがある。私も留学時代に本書を愛読した一人だが、アメリカで困窮した内村が、クリスマスに、恩師に学資を無心に出掛けたものの、金のために自分の独立心を売ることは出来ぬ、と諦め、一人とぼとぼガラ空きの学生寮へ帰る箇所など、涙なしには読めなかった。

内村の文体も、翻訳では間接的にしか分からないが(原文は英語)、聖書や英語の詩歌を自らの血肉としている点で特筆に価する。内村は、日本を離れる船の上から水平線に沈み行く富士を目にし、遠ざかりゆく母国の象徴に賛歌を捧げるのだが、富士について書かれた文章で、かくも高揚し、霊感に満ちたものが他にあるだろうか。

初めて読む人は、日記形式の文章が多いのに戸惑うだろうが、アメリカに留学するなら是非読んで欲しい名作である。

現世的効能もまた
 自身の日記をもとにした、回心の告白。
 渡米後、神学書をひもといて信仰を深めていくその内容については、本書に詳細が語られているわけではない。日本での学生生活とその時期の回心については、当時の雰囲気を伝えていて興味深い。神学的な意味で中身のある文章ではなく、回心の過程もキリスト教徒以外には無意味に思える。
 異教徒としての日本人が本書から得るのは、その時代の暮らしぶりと、著者の心情だろう。読みやすく、当時の情熱が伝わってくる意味で、古典として長く読まれるにふさわしい。
ズバリ、和風キルケゴール。「信」へ至る魂の軌跡。
キリスト教に出会い、信仰と思索を深めていった過程を綴った若き頃の自分
自身の日記。それについて、後日注釈しつつ振り返る、という凝った体裁を
とっている。自伝的要素は濃厚にせよ、どこかしらフィクションの香りすら
漂ってくる。勿論、いい意味でだが。
キリスト教に初めてふれて、信仰に目覚めるまでの冒頭がまず笑わせる。
学校で半ばいやいやながら契約書に書名させられてサークルに入会。
ところが、一神教であることを知るや否や、八百万の神へ祈る手間が省ける
と喚起!強迫神経症ぎみだったのか?。経済を「金銭至上主義」と揶揄する
反面、金策の都合に大袈裟な表現で一喜一憂する様は、何とも若者らしく薄っ
ぺらで可愛らしくさえ思える。そんな鑑三が次第に教会の党派性に疑問をもち
所属協会から独立、家族をも入信させる。ついには、本場ニューイングランドへ
渡航。幻滅の中でも神への信仰を深めつつ、教義としての神学の限界を喝破し、
ついに帰国を…。何とも凄まじい「信」の軌跡だ。
鑑三はどの教派・教義にも組みせず、独自に自分の一日本人としての心性を見つ
めつつ、神に向き合うことに信仰の本義をみる。キルケゴールの「単独者」が浮かぶ。
「最大の光にともなう最大の暗黒」と、キリスト教的思考の「悪」的要素を探り当て
る嗅覚も鋭い。まあ、正直、身内にいたらめっちゃ迷惑なタイプやけど。
濃密な信仰、文化についての論考
かなり内容の深い本である。全くキリスト教と無縁だった著者のキリスト教に入信する経緯をテーマにしながらも、西洋文明に出会った明治維新当時の歓びや驚きや戸惑い、異国での体験、いわゆるキリスト教国に対する観察、愛国心、宣教、東西文化の差異、信仰面での苦悩や葛藤など、幅広い内容が絡み合い、密度の高い文体に凝縮されている。

本文は著者自身の日記を引用してからそれに対して長短様々なコメントを付け加えるという形式で話を進めている。一応著者の中学校時代から渡米、帰国までの軌跡が描かれているが、内容の主眼は著者の「魂の遍歴」のほうにあるため、描写は心情、思想に偏り、具体的、外面的な事実の記述がやや乏しい憾みがある。なぜそういう心情に至ったか、あるいはそういう行動を採ったか、説明不足の感じがする部分があり、また唐突に別のテーマに切り替わったりして、内容の整理が不十分なところもたまにはある。そして何よりも悩ましいのは、ぎこちない訳文(原作は英語)である。だが著者の考察と観察の深さはそれらの欠点を補って余りある。1世紀前に書かれた本とはいえ、現代にも通じる様々な問題を提起しており、信仰の有無を問わず、じっくり読めば必ず考えるためのきっかけが掴めるはずだ。


後世への最大遺物・デンマルク国の話 (岩波文庫) 後世への最大遺物・デンマルク国の話 (岩波文庫)
内村 鑑三   岩波書店   岩波書店  
日本人一人一人は、そして日本と言う国はこれからいかに生きるべきか
●後世への最大遺物

内村鑑三先生が、若者向けに 「何を後世に残すか? 金?事業?思想?」 を講演した講演録。
途中、恩師のクラーク先生(「少年を大志をいだけ」の)のくだりが出てきておもしろい。

ーーーーーーーーーーーーーー
クラーク先生を第一等の植物学者だと思っておりました。
<中略>
ある学者が、クラークが植物学について口を利くなどとは不思議だと笑っておりました。
<中略>
とにかく先生は非常な力を持っておった人でした。
どういう力かといいうと、すなわち植物学を青年の頭につぎ込んで植物学という学問のInterrestを起こす力を持った人でありました。
ーーーーーーーーーーーーーー

●デンマルク国の話
狭い国土をドイツとの戦争に敗れて、3割方失ってしまったデンマルク国、残されたものは荒れ果てた北海道の半分くらいの土地だけ、その国が何によって、世界に胸を張れる大国になったか?

一人の敗軍の兵士ダルガスが、
「外に失いしものを内において取りかえさん。我らの世代であの荒野をバラの花のさく豊かな土地にするのだ。」と叫び、祖国復活の掛けに出たのです。

ただよく生きることに大きな価値がある
哲学者の天野貞祐が学生に勧める書として、内村鑑三「後世への最大遺
物」・アリストテレス「ニコマコス倫理学」・ヒルティ「幸福論」を挙げてい
る。

後世への最大遺物―勇ましい高尚なる生涯

難しいことではありません。各人が信じるように、よく生きるということ
です。本書は、それがなぜ最大遺物なのか、やさしく語れています。

倫理が疎かにされている時代です。なんでもありになっている社会です。
それを、次の世代のためにも変えていけるのは、私たち一人ひとりの生き
方ではないでしょうか?

人生をよく考えて見たい方にお勧めします。そして、本書の次に、「ニコ
マコス倫理学」を読むことをお勧めします。
未来への希望
 どうやって生きていけばいいのだろう、何のために頑張ればいいのだろう、そういった疑問を優しい言葉で説いてくれる。金、事業、教育それらを残すのも遺物。しかし万人に行える「最大遺物」、それこそが我々のこれからの希望になることだろう。
悩ましい…
生まれてきたからには、なんらかの足跡をこの世に残したい。
そんな風に考える人には必読の書でしょう。

誰もが後世に遺すことのできる「最大遺物」とは何か?
内村鑑三は、金でもなく、事業でもなく、思想でもなく、
「勇ましい高尚なる生涯」であると説く。それはまた、
「己の一生涯をめいめい持っておった主義のために送る」
ことであるという。

しかしその言葉は、私たちを強く勇気づけると同時に、
より一層悩ましい問いへといざないもする。

いったい如何なる「主義」を持てばよいのであろうか。

それこそが最大の問題である。


この世に何を残せるか
 この本には、2つの講演が収められています。
 1つは「後世への最大遺物」。
 もう1つは「デンマルク国の話」。

 私は、この本のタイトルを見て、「この本は『デンマルク国が後世への最大遺産だ』ということを述べた本」だと勝手に思いこんでいましたが、上に書いたように、別個のものです。

 「後世への…」は、自分はこの世に何を残せるか、カネか、事業か、文学か、いやいや誰にでもできること、それは「高尚なる人生」という歩み方だ、そのことを、内村鑑三らしい話の進め方(Aはどうか? まあそれもいいけど、こういう理由でAはやっぱりダメ、ではBはどうか、同様にBもダメ、結局C、という進め方)で語っていきます。

 大体にして、「この世に何を残せるか」、この観点で生きるということ自体に、大きなインパクトがあると思いませんか?

 「高尚なる人生」、こう書くと、なんか偉人伝に出てきそうな人のように歩めよな、という話っぽく聞こえますが、そういうことではなく、日々淡々と、きちんと背筋正して歩んでゆく、その積み重ねが、結果的に「その人」の「高尚なる人生」で、それは誰に対しても無害有益、こういうことを諄々と説いてゆきます。その説き方がなかなかの「芸」なので、面白く読めます。

 「デンマルク国」。
 知らなかったのですが、デンマークは大国にこてんぱんにやられて肥えた領地を奪われ、荒れた土地しか残らず国民全員茫然自失、その時ひとりの元工兵現れ、荒れ地に木を植え、しかしうまくゆかず、手を変え品を変え、様々な試行錯誤を繰り返し、木は生長し青草生え、遂に緑地化に成功、農耕と牧畜盛んなる豊かな国へと変えられていった、そのような話です。
 この語りぶりが、また内村鑑三の「芸」で、とても面白く読めます。

 そして、この2つの講演を一冊の本に。
 実は一本の線によって、両者がしっかりと束ねていたのでした。
 デンマルク国の元工兵は、実に「高尚なる人生」を歩んでいたのです。
 つまり、「後世への…」が理論編、「デンマルク国」がその一実話編という訳で、非常に出来の良い本にまとまりました。


代表的日本人 (岩波文庫) 代表的日本人 (岩波文庫)
内村 鑑三   岩波書店   岩波書店   鈴木 範久  
現代の政治家にこそ読ませたい一冊
内村鑑三が明治期に、海外に日本を紹介しようと英語で執筆した本を、
日本語に翻訳しなおしたものが本書。言わば逆輸入本である。

かって日本人が精神的に強かった頃のお話である。
本書は5人の代表的な偉人を紹介するが、私が感銘を受けたのは
上杉鷹山と二宮尊徳である。
彼らは、傾いた藩の財政再建を見事にやってのけた。
しかも自ら率先して倹約・節約に励みながらだ!

現代政治家・官僚はそこを見習って欲しい。
そんなことを考えながら読んだ本でした。
是非とも国を担う人たちに配布して読ませたい。
大阪府の職員にも配った方がいいのではないか?
いや配るべきは議員か?
議員の方が財政健全化にごねているみたいだから…。

印象深いのは「上杉鷹山」と「二宮尊徳」
 わが社の社長も薦める本。日本人とはどうあったのか、どうあるべきなのかを作者の時代の観点で書かれている。といっても、現在でも通用する部分も多分にあるからおもしろい。
 印象深いのは「上杉鷹山」と「二宮尊徳」。平凡な自分がもし万が一、一国一城の主になった場合に、参考にしたいのは「上杉鷹山」。決して難しいことをしているわけではない。当たり前のことを当たり前に行った、という印象。カリスマ、というよりもむしろ人間くさい。
 一方、「二宮尊徳」。不遇の幼少期の影響か、大人になってから偉く頑固でとっつきにくくなった感じがする。勝手ながらネアカな印象を持っていただけに意外だった。
「わが祈り、わが望み、わが力を惜しみなく注ぐ」唯一の国土、日本
新日本の創設者としての西郷隆盛、封建領主・上杉鷹山、農民聖者・二宮尊徳、
村の先生・中江藤樹、仏僧・日蓮上人を通じ日本、及び日本人が外国人に紹介されいる。
知らないことにも恥ずかしいが、何よりも著者の視点、明治のキリスト教徒であった氏の「考え」に驚かされる。
健康で、みずみずしく、力溢れる評論だと感じます。取り上げられた夫々への人物と同じく著者への興味も湧いてきます。
四 中江藤樹の項、「昔の日本の教育」については特に印象深いものがあります。
繰り返し読みたい本
 取り上げられた人物はいずれも私心なく情熱をもって大業を成し遂げた人たちで、彼らの伝記を読むたびに励まされる気がします。分量がそれほどなく、また文章も極めて平易なので、気軽に読めます。もともと海外に日本を紹介するために書かれた本ですが、今では日本人自身の道徳の教本として貴重な存在になっていると思います。
 なお、本書の史料的裏付けへの疑義や、特に西郷論におけるナショナリズムについて訳者解説で触れられていますが、本書はもともと歴史書ではありませんし、また本書で取り上げられた人物も、内村も、そして我々も時代的制約の中で生きているのですから、ナショナリズム云々をいうのはナンセンスでしょう(どの小学校の図書室にもナポレオンの伝記はあると思うが、教育上良くないことだとでも?)。
ネガティヴな事象へのアイロニカルな視点をいかにもつか
日本人は往々にして自国に関することを肯定的に書かれることを殊更好む傾向が強い。
一方でネガティヴな指摘に対しては、歴史教科書検定問題で醜態をさらす文科省の小役人や歴史修正主義者(=オヤジ慰撫史観主義者)でなくとも少なからず反発を抱いたり、寛容さに欠けるとの指摘は都合良く無視しがち。
よって本書と異なり、ネガティヴな側面を有する書籍はほぼ決まって「売れない」。
本書の読者には引き続き、吉田司『宮沢賢治殺人事件』や佐高信『石原完爾−その虚飾』『西郷隆盛伝説』などに触れることで、「お誉めの言葉に甘んじる」というのは単にだまされていただけだったということかも、ということにほんの少しばかし気づいて欲しいところ。


キリスト教問答 (講談社学術文庫 531) キリスト教問答 (講談社学術文庫 531)
内村 鑑三   講談社   講談社  
ストレートに信じる
内村 鑑三。
本当に有名な方です。
けれどその著書を 私はまだ読んだことがありませんでした。

日本の中で、江戸時代から明治にかかる波乱の時代。
その中で、これほどストレートに自分の信仰を表明していることに”すごいっ”と思いました。
いま この平成の時代。
キリスト教は、日本においてはマイナーな宗教です。
信者としては、例えば電車の中でもそんな本を出してどうどうと読むのはちょっと抵抗があるのが正直なところ。(わたしも昔はそうでした)
けれど、彼の思いはストレート直球です。
迷いも憂いもありません。

その心をすばらしいと感じました。

文章も思ったより読みやすかったです。 ^^

気になった方は読んでみてください。


キリスト教への深い洞察
一問一答の形をとった内村鑑三のキリスト教理解をコンパクトにまとめた本である。内容は具体的にはキリスト教の来世観、キリストの神性、聖書、三位一体、教会、予定論、人間の堕落、奇跡などキリスト教の根幹部分をなすものについてである。著者が驚くほど敬虔な信仰者かつ優れた知識人であるだけに、キリスト教に対する深い洞察と卓見が随所にちりばめられていて、特にクリスチャンが読めば得るところが多く、時間をかけてゆっくりと精読するに値する書物である。個人的に一番面白く読んだのは、著者の有名な「無教会主義」に関する著者自らの解説である。それは従来の組織の枠外での信仰の在り方の探求だが、それさえ包容できるキリスト教の懐の深さを実感した。と同時に、「無教会主義」をキリスト教を日本に土着させる一つの試みとして考えると、キリスト教がなぜ日本でなかなか広まらないかについても色々なヒントが得られると思う。

ひとつだけ注意しなければならないのは、これは入門書では決してないことである。基礎から解説するのではなく、いきなり「来世観」のような話から始まるから、キリスト教に関するかなりの予備知識がないと分かりにくい。また、著者の信仰者としての主観が色濃く反映されているという意味で、キリスト教に関する「客観的」な論考でもない。でもその分、信仰者と信仰者でない人との間の大きなギャップが見えてきて興味深い。


一日一生
内村 鑑三   教文館   教文館  
読みやすい短文を集めた名著
「一日は貴い一生である。これを空費してはならない。」で始まる序文。内村鑑三独特の文体で書かれていて、序文だけでも一読の価値があります。

内容は1ページに聖句とそれに関係する内村鑑三の短い文章がセットになっています。例えば「私たちは単に独りであっても人類のために尽くすことができる。(2月11日)」「神はまことに忠実な農夫である。(7月25日)」「正義は破れて興り、不義は勝って滅ぶ。(12月2日)」などで始まる力強い文章から彼の想いが伝わります。彼の文章に惹かれるのは、それが机上の空論ではなくて、何らかの実体験をもとに、読者に話しかけるようにして書かれているからかと感じています。

彼に興味はあるけど長い文章は読む気がしないなぁー、という人にオススメで!す。また新版になり、体裁も今風になって取っつきやすくなっているのでは。


内村鑑三所感集 (岩波文庫 青 119-5)
内村 鑑三   岩波書店   岩波書店   鈴木 俊郎  
『聖書』を知りたければ、『聖書』を読め、『聖書』に関する書物を読むなかれ。
 内村氏は、そんなことをおっしゃっている。当たり前といえば、当たり前の話である。しかし、その当たり前のことが実行されていなかったからこそ、わざわざ内村氏は、こんなことまで言わなければならなかったのだろう。この言葉は、他のことにも応用できそうだ。何かを知りたければ、何かに関する書物を読むなかれ、何かそのものを読め、と。
 太宰治の「惜別」に目を向けてみよう。「惜別」は、太宰が描いた「周さん」が実際の魯迅と異なる、との理由で評価がいまひとつの作品で、私にはそれが口惜しい。
 内村氏は「幸福なる家庭」と題し、だいたい次のような所感を残している。――秋宵静かなる頃、夫婦とその子とが頭を垂れて神に祈る、これ、幸福なる家庭なり。二人三人、我が名によりて集まれるところには必ずわれもまたあるべし。
 ところで太宰が、繰り返し語った話に、難破した水夫の話がある。この話は、「惜別」においては「周さん」が創作した話として登場している。この話に出てくる燈台守一家は「夫婦とその幼き女児」とあり、内村氏「幸福なる家庭」の家族構成と一致している。また、太宰の燈台守一家は、水夫が命を落としたとき、何も知らず一家団欒の食事を続けていた、という。燈台守が船の難破に気づかない、そのこと自体、問題だ。燈台守の職務は、海難事故防止を目指すことにあるはずだからだ。一方、内村氏の一家は、万人の幸福を祈っている。
 太宰は「八紘一宇」に代表される、日本だけが幸福になろうとする思想を、燈台守一家の〈家庭の幸福〉でたとえたのではないか。その思想への反発を暗に表現するために彼は、万民の幸福を祈る思想=キリスト教を根幹とする内村氏の所感「幸福なる家庭」を素材としたのではないか。――私の読みはでたらめかもしれないが、「惜別」を読み解くにはよろしく「惜別」を読むべし、これは、確かなようである。
短くも力強い言葉
 内村氏は編集長を務めた『聖書之研究』誌上に「所感」と呼ばれる短い文章を載せていました。
 1つ1つの「所感」は短く読みやすいですが力強くまた全体としてみれば思想が一貫していることがよくわかります。
 生きることに疑問を感じたとき目を通してください。あなたに相応しい文章が見つかるはずです。

対訳・代表的日本人 対訳・代表的日本人
内村 鑑三   講談社インターナショナル   講談社インターナショナル   稲盛 和夫  

基督信徒のなぐさめ 改版 (岩波文庫 青 119-1)
内村 鑑三   岩波書店   岩波書店  
高潔な人格に感銘
相次いで降りかかってくる災難にめげず挫けず、逆にそれらを自らの信仰の昇華のきっかけにした著者の高潔な人格に大きな感銘を受けた。人にとっては何が一番大切なのか。目立ちはするが長くは続かない富やキャリアではなく、むしろ信仰とそれに基づく高尚な生き方なのだ。たとえ目に見える実を結ばなくても、たとえ「単なるきれいごとだ」と人に嘲笑されても、「正義は正義なり」、それを貫いた人こそ本当の成功者なのだ。そういったことをこの本から学んだ。文語調の文章は少々とっつきにくいが、(陳腐な言い方だろうが)本当の人生の指針を示してくれた古典的な作品である。
内村鑑三の処女作
この本は以下の構成になっています:

第一章 愛するものの失せし時
第二章 国人に捨てられし時
第三章 基督教会にすれられし時
第四章 事業に失敗せし時
第五章 貧に迫りし時
第六章 不治の病に罹りし時

すべて、当時の彼の現実問題(妻の死、基督教会からのバッシング、無職による貧困など)がきっかけとなっています。文章構成は

1.問題にぶつかる前から
2.問題が起こり、
3.それを克服するまで
の彼の思考過程が逐次記録されている、となっています。

どの章でも、彼はまず「正論・一般論」を述べて、自分も頭では正論を理解していた、しかし実際問題にぶつかってその空論であることを知った。しかし、彼はキリスト教信仰をそこで捨ててしまうのではなく、むしろ実際問顡?をキリスト教信仰の視点から克服します。そして正論は確かに正論であった。のみならず、彼はより一層、自身の信仰を昇華させ、今まで以上に高く高く舞い上がっていきます。「私たちの想像を遙かに越えてつかないくらい、高く高く舞い上がる鷲のよう」と内村鑑三を評する人もいますが、正にそのような彼がこのここにいます!

また、この本は内村鑑三が後に主張する「無教会キリスト教」というキリスト教精神の出発点となっています。

対象読者としては:

・目次に見られるような問題を抱える方、
・また、クリスチャンで教会に親しめない方
などにオススメです。
問題解決型の著作は世間に数多く溢れていますが、本著のようなしてんから問題解決を試みる著書は少ないと思います。クリスチャンはもちろん、そうでないかたにも、問題解決の新たな視点を提供するのではと思います。

ただ、過去の偉人伝を多く引用しているので、私も含め、現代の若い世代(20代)には取っつきにくい部分もあります。注釈が付いてはいるのですが。


内村鑑三の生涯―日本的キリスト教の創造 (PHP文庫) 内村鑑三の生涯―日本的キリスト教の創造 (PHP文庫)
小原 信   PHP研究所   PHP研究所  

内村鑑三の『代表的日本人』 内村鑑三の『代表的日本人』
童門 冬二   PHP研究所   PHP研究所  
他人の観点を参照しながら、自分の観点を大切に
 世に「偉人伝」なるものがあって、内村鑑三の「代表的日本人」として登場する二宮尊徳・中江藤樹などはまさに古来【代表的】な偉人であろう。その人を知りたいと思えば、なにも内村鑑三の目を通して見ることはないであろう。本書著者は、あくまでも「内村鑑三なる人」という特別な宗教観・歴史観を持った先人の捉えた人間観を紹介しながらも、更に自分の観点を示すことを忘れない。

 著者童門氏は「丸投げ」の紹介に終わらず、その意図や精神を再現した上で、「この精神はこう生かすべきではないか」という自分自身の見方を付け加えているところがいい。
 極力「二宮金次郎」と呼び、容易に「尊徳」を使わない。生きていく上で学び取った多くのことは金治郎時代のものである。奥深い思想ではなく、その分かり易い考え方やものの処理の仕方でもある。一語で言えば【譲る】生き方を、あの金次郎銅像の本「大学」で学んだとも言う。本書には、さまざまな実例が提示されていて、たとえば次の一例だけでも知って人生観を深められるならば、本書を読んだ意味はあるだろう。
 
【荒地にも徳がある】しかし、人間は荒地を見るとすぐに不毛の地だとか、こんな所を耕しても時間と労力の無駄だ、と言って見捨ててしまう。間違いだ。ー荒地には徳がある。荒地の徳はとんでもない見当違いのところにあったり、あるいは相当深いところに存在したりする。だからこそ荒地なのだ。…(その)徳を探さなければならない。それには相当な根気と時間と、なによりも【荒地に対する愛情】が必要だ。
 

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