御馳走帖 (中公文庫)
内田 百けん 中央公論社 中央公論社
一畳敷サイズの…!!笑
いつもマイペース、百閨B
気難しいってか頑固ってか要は天然なのよね、先生は。
他人がプリプリしてるの見るの嫌いなんだけど、
なんでか彼のプリプリは嫌味がなくて楽しめる。
どでもいいけど、「一畳敷サイズのはんぺん」!!
是非オレも食べてみたいものだわ。
食べること生きること楽しむこと
人間、食べないと生きていけません。食べること。これってとても日常的なことですが、どうせならこだわって楽しんで食べたほうが幸せというものです。飽食の時代=食を楽しめる とは限らないし、貧しい時代=楽しめない とも言えない。いつの時代であろうと、貧しかろうと、裕福であろうと、そんなことは関係ない、食を楽しむことは普遍的なものであるのだと思わせてくれる、そんな本ですね。
数少ない、旧かなで読める百けん先生の本。昭和初期にタイムスリップしたい人にも。
この本、ずっと手に入らなかったので、再版されて嬉しいのは私だけではありますまい。表紙の題字は百けん先生の直筆、昭和21年の初版本からとったもの、文体は旧かな、解説は"ヒマラヤ山系"こと、平山三郎さん。見事ファンの心をとらえる本であります。ファンのみならず、戦中、戦後すぐの食生活、先生の幼少時代に食べた、岡山ならではのお料理など、楽しい随筆がたくさん入っているので、昭和の始めの日本の食生活に興味のある人は必読ですよ。私は先生が終戦後、ジャガコロを作るときに使っていた代用油(本物の油じゃないのよね?)、マゾラ油って一体なんなのか知りたいです。
この笑い!!日本人でよかった!!
この文章、この笑い!!彼の作品が読めること、そのオモシロさがわかること、これだけで「日本人でよかった!」と本気で思えます。食べたいものリストなんて・・・こんなもの書いてこんなに面白いのは彼だけではないかしら?
すごいわがままなのに「愛されキャラ」・・・人間としても「文章家」としてもこれほど優れたひとはもう2度と出ない。敢えて言えば、赤瀬川原平さんや中島らもさんからすこし似たものを嗅ぎとってしまうような気がするのですが。
モノや人を見る眼がものすごく鋭い。それは世の中の不条理まで見通してしまうから、彼の小説はあんな不思議で幻想的なのではないかしら。エッセイとはまた一味違う小説も、ぜひ読まれるべし。
Reading it makes you grin
Whenever I miss eating good ol' food that I grew up with...I open this book to confort my soul. I'm a 70's kid myself, but the food described in here, though old fashioned and some I have never tasted, brings back so much memories and just overwhelming sometimes. The author's unique style of writing and his bit twisted sense of humor remind me of my gramps a lot!
百鬼園随筆 (新潮文庫)
内田 百けん 新潮社 新潮社
百鬼園先生ときては、かないませんなぁ
子どもの頃からのいたずら好き。大人になって独逸語の教官になってからも、奇天烈な理屈で人を煙に巻いたり、借金を棒引きにできないものかとのらりくらりと返答したり、教え子の結婚披露宴で珍妙な祝辞を述べたり、生徒たちの計略にまんまとハマって苦虫かみつぶしたような顔をしてみたり・・・・・・。
内田百間こと百鬼園先生のユーモラスな言動に、微苦笑を誘われたエッセイ集。傍若無人な百鬼園先生のキャラクターと相俟って、おかしみが染み出してくる文章に、独特の旨味を感じました。
「短章二十二篇」「貧乏五色揚」「七草雑炊」の、大きく三部から成っている随筆集。収録作品の中、次の五篇が特に面白かったです。
■表紙カバー見返しに掲載されている著者の顔写真、特に鼻の下からへの字に曲げた口にかけてを、しげしげと眺めてしまった・・・・・・「髭」
■百鬼園先生の面倒臭がりが高じて、八方塞がりに立ち至る様子がおかしかった・・・・・・「風呂敷包」
■飛行機を使った自殺の方法が、まるでマンガの絵を見ているようで笑えた・・・・・・「百鬼園先生幻想録」
■借金して開き直っている百鬼園先生のふてぶてしさに恐れ入った・・・・・・「無恒債者無恒心」
■電車に乗った百鬼園先生が席を譲ろうとして、おかみさんがおぶっている赤ん坊を泣かせてしまうシーンに、くすりとさせられた・・・・・・「百鬼園先生言行録」
カバー装画は、芥川龍之介。巻末解説は、川上弘美。
意外と難しかった
夏目漱石の弟子であった内田百閨B
おもしろいと評判なので読んでみたが、意外と難しかった。幾つか笑える部分もあった。
「髭」と「風呂敷包」、「清潭先生の飛行」は爆笑した。
鼻毛がぐるぐる巻いている
「間抜けは単なる観念でもなく、空想でもない。現在目のあたりに実在するんだね。どうも驚いた」
(『間抜けの実在に関する文献』より)
カバー絵は、かの芥川龍之介の筆によるものである。
鼻毛がぐるぐる巻いている、シュールでユニークな百けん先生の似顔絵は、まさにこの本の中身を絶妙に表現している。
お気に入りは、「蜻蛉玉」(日本銀行に押し入ろうとする空想の理由がばかばかしすぎてすごい)、「間抜けの実在に関する文献」(世界がすべてたぬきに見えてくる)。
大真面目な顔をして、難しい言葉を使い、ひねくれたことやものすごく馬鹿なことを言う。
だだをこねる子どもが、知恵という武器をそなえて大きくなってしまったような、そんな雰囲気とおかしさは、たまらなく癖になる。
ああ、エッセイとはこういうものをいうのだと、しみじみ感心させられた本。
「漱石門下では君と僕だけだね」
と、芥川に言わしめた百けん先生。
その随筆作品には、独特のユーモアがあり、洒脱で、一見飄々とした文体であるが、
一字一句に呻吟刻苦した、ねばり・踏んばりの作家でもある。
名文家で、そのレトリックは痒い所に手の届くような絶妙さ・痛快さにあふれ、
話の運び方には、堅実である反面、重さを全く感じさせないシタタカな職人芸を発揮させている。
思わず笑みのこぼれるようなユーモア溢れる作品の中にも、
どこか対象を突き放したような、乾いた・冷たい観点から人事を見つめている作家の目が光っており、行間に鋭いものを感じさせる。
淡々とした語り口に、センチメンタルな哀感を見えつ隠れつ潜ませている文章手腕は見事というの他ない。
ちなみに、百けん先生ファンには、いわゆるコアなファンが多く、
文学愛好者の「全文丸暗記」と言えば、今だに、志賀直哉作品に並んで内田百けん作品が多い。
名だたる小説家・批評家・芸術家にも、内田百けんを賞賛する者が多く、
黒澤明が大の百けんファンだったことは有名。
三島由紀夫は百けんの手腕・その生み出す世界を絶賛している。
この随筆集はそんな百けんワールドをのぞき見るのに適した手軽な文庫本だと思う。
You never seen before !
エッセイというと、著名な小説家や思想家、批評家なんかが過去を振り返っていい気分になってる姿を造本して出版する物だとか、ただたんに飾らずに素直に物を言うだけの方法の1つだという認識が僕の中にはあったのであり、それっていうのは要するにエッセイ(髄質)なんてのは片手まで書くもんだという理由なき偏見が僕の中にもあったのですが、この一作でエッセイとして小説や哲学書に引けをとらない面白みが成立することもあるということを実感しました。正直いってあっかんです、このな書はその存在を想像することすら不可能でした。
何がスゴイってあとがきにもあるように、まるで子供が木の棒の先で砂に描いた落書きの世界に迷い込んだようなメルヘンかつどこか儚き(そして薄っすら不気味さも備えた)究極の大人の遊びでございます。札を揃えたくて銀行に拳銃を持って押し入る話なんかは最近のギャグ漫画の先駆的なイメージを感じさせます。
これを読んでハッキリ理解出来ることは、坂口安吾も言っているように、質の高い喜劇というのは崇高な悲劇をも凌駕する存在価値を有するということです。僕は本を読んで声を出して笑うということはマズ無いのですが、この一作で自分にもそれが可能なことを知りました。
ノラや (中公文庫)
内田 百けん 中央公論新社 中央公論新社
随筆のタイトルからして魅力的
以前、内田百鬼園の年表を見た際、いつノラを飼いだして、ノラが失踪したかということがきちんと書いてあって笑ったことがある。(ノラ失踪後の百鬼園の悲しみぶりは、黒澤明が映画「まあだだよ」でもメイン・エピソードとして描いている。役者もそっくりなので、見てない方は一度どうぞ。)
僕にとっての百鬼園の随筆の魅力は、彼の人生の大部分を覆った借金苦や東京大空襲で焼き出された後の小屋住まいなど、決して順調に進んだ訳ではない日々の生活を、飄々と持ち前のユーモアでやり過ごしていくエピソードの数々にある。その分厚いユーモアの奥底には、何か得たいの知れない達観やシブトサさえ感じられるのだ。同時代の文学者が必ず書いた「女との恋愛」ではなく「猫への溺愛」を描く。東京大空襲には単に見物根性で最後まで付き合い、その見物記を本に纏める。(そこには戦後突然現れた反戦文学の要素など全く無い。)
薄っぺらいヒューマニズムやロマンチシズムとは次元の違うその感性は、全く不良ぶってはいないのに、実は徹底的に「無頼」ですらある。(この本の解説で、吉田茂(!)と犬猫談義をやった際の話が紹介されるが、そのエピソードからは彼のドライな人間観が読み取れる。)でも、出来上がった随筆は非常に軽妙で、温かな「天然」の味が心地よい。そこが、僕に取っての彼の文章の魅力である。
この随筆集はそんな彼が齢70を過ぎて溺愛した二匹の猫に対する思いを綴ったものであり、猫を失ってからの慟哭を綴ったものだ。
「ノラや」
「ノラやノラや」
「ノラに降る村しぐれ」
「ノラ未だ帰らず」
タイトルを見るだけで、彼の猫に対する愛が伝わると思う。ノラとクルを巡るエピソードは百鬼園という不思議な文学者の一面しか見せてくれないはずなのだが、確かにその一面だけでも十分魅力的だ。読んだことのない方は、この本をきっかけに、是非他の文章も読んでみてください。
泣けます
今まで読んだ本の中で一番泣けました。
出勤中の電車の中で読んでいたのですが、涙を抑えるのに必死でした。
少し文章が難しく、動物に興味がない人にはわからない気持ちかもしれませんが・・・。
泣かない夫も泣いたそうです。
愛猫が行方不明!
その設定だけで泣けますが、それを見事な文学に昇華させました。
しかも、いつものちょっとひねくれたかんじもなく、素直に、ご自分がうろたえるさまを表しています。
それがまた、涙を誘います。
猫の愛し方
いつのまにか一緒に暮らし始めた猫(ノラ)が、ある日突然消えてしまった。
そのたったひとつの出来事が、いかに大きな悲しみを生み、今日を変えてしまうか。
何をしていても、何処にいても、些細なきっかけで思い出し、涙が出る。
その繰り返しが延々と綴られています。
そしてその悲しみを癒すために現れたようなもう一匹の猫(クル)。
「ただ一つの心遣りは、帰つてこなくなったノラと違つて、してやり度いだけの事はみんなしてやつた。クルがしたがつた事はみなさせてやつた。」
この一節を読むだけでも、作者がどんなに真剣な愛情を注いだか想像できると思います。
「ノラや」「クルや」と呼びかける作者の声が聞こえてくる一冊。
猫好き必見!!
大の男が、それもいい年をして、いなくなった猫を思い慟哭する。
傍から見ればおかしいと思うかもしれないが、同じ猫好きとして
その気持ちが痛いほど分かる。人目なんか気にしていられない。
猫が好きというのはそういうことなのだ。読んでいてもらい泣き
しそうになった。猫の描写もきめ細やかで、愛情に満ち溢れている。
ノラ、そして次に飼ったクルツ。作者とのほのぼのとしたふれ合いが
印象的だった。猫好きの人はぜひどうぞ♪
続百鬼園随筆 (新潮文庫)
内田 百けん 新潮社 新潮社
17rか
孅才9定に眉麭型から竃たものの。
症撚いや症忖は個めてある。
為麹@の昧を33鐙鹿めたものだが、かれたr旗はけっこう嫌レい。17rでに誘後した仝猟嫗弊順秘猟々までっている。しかし、とても17rとは房えない析撹した猟嫗でかされる。
とはいえ、rを函ってからの仝Q々や仝敢拍々の龍わい侮さも殆這らしい。
嗔繁の棒を疑む猟嫗がいくつもГ瓩蕕譴討り、秤もたっぷり。
rを函るほどに、措さの蛍かってくる恬社だと房う。
冥途―内田百けん集成〈3〉 ちくま文庫
内田 百けん 筑摩書房 筑摩書房
馬鹿野郎
百間の本は昔から読んでいて、ちくまで皆さんにもっと読んでもらえると思って楽しみにしてました。ただ、刊行されると最初は12巻の予定だったのが売れ出してから24巻になり、商業主義がイヤダと思いました。それだけならまだしも、最終巻に、「お詫び」として前期と後期に重複させてしまった作品が二つもあることには筑摩書房の編集者たちに怒りさえ感じました。
刊行する以上はしっかりと全24巻出すと初めから決めておいて、計画を練ってから刊行するのが編集者の仕事ではないのでしょうか。百間の名文がただの商業上の喰いものにされていることは「謹んでお詫び申しあげ」られても許されることではありません。
そういった意味で筑摩書房の編集者たちに対して仕事しろ「馬鹿野郎」と苦苦しく思いました。編集者たちは「お詫び」に辞職して貰いたいと思ってます。
懐かしく、ちょっと可笑しい夢の世界
先に「百鬼園随筆」を読んでいたので、へそ曲がりの百鬼園先生が、今度はどんなへその曲がった小説を書いたのだろうと思っていたら、予想が外れた。
夢の世界なのである。本の最後の付けられた芥川龍之介の評によると、「冥途」をはじめとする数編は、漱石の「夢十夜」のように夢の形式をとった小説ではなく、見た夢そのままを書いたものであるという。それが本当なら、やはり文豪の見る夢というのは、私のような一般人とは格が違うのか、とてつもなく細かい。夕日が染める空の色だとか、葦の原を渡る風の音だとか、微かな光の変化まで、夢それ自体が一編の詩となっている。
しかしナンセンスで不思議な世界であるから、「百鬼園随筆」を読んで勝手に形作っていたけれど、このような精神世界を有していたことにとても驚いた。
そうやって面食らったまま読み進めていったからか、よく作品を味わえなった感があり、また、こういう手の訳のわからない話はあまり好きではないのだけれど、しばらく読んでから少し前のページに戻ってみると、何かしらとても懐かしいような気持ちがするので、しばらく間をおいて、再読するのもいいかもしれない。
訳のわからない怖さ
この本を形成するのは訳のわからない怖さだろう。この怖さはむしろ大人が感じるものではなく、子供の感じるものではないだろうか?子供の頃、夕暮れ時の帰り道に感じたあの怖さのような…
百閒小説集
幻想的な雰囲気と、一種独特の浮遊感に満ちた内田百閒の小説33篇を集めたのがこの小説集『冥土』です。
たくさんある小説の中でも、個人的な一番のお勧めは『件(くだん)』でしょうか。数ページのものすごく短い小説なので、あんまり書くとネタばれ(まぁ、ネタといえるものも特に無い小説なのですが)になってしまうのであまりかけませんが、「件」というのは顔が人間で体が牛という妖怪(?)のような化物のことで、主人公があるとき突然気付いたらこの件になっていたというところから始まる話です。ただこれだけ書くと、何となくカフカの『変身』のような雰囲気もありますが内容は全く違います。詳しくは実際に読んでみてください。これまで味わったことの無い奇妙な雰囲気を味わえるはずです。
『件』のほかにも、表題作になっている『冥土』や、名作の誉れ高い『旅順入城式』など百閒の小説世界をじっくりと楽しめる一冊、お勧めです!!
夢がテーマ、というか百閒先生が見た夢の話。
特によかったのは「冥途」。私も亡き祖父の夢を見て泣きながら起きたことが何度かあるので主人公の気持ちはよくわかる。気がする。
他に「花火」「件」「豹」は特にリアルな訳のわからなさがあって怖かった。不思議という言葉だけでは済まされない奇妙にリアルな感じ。夢なのに。あとがきに「ハッキリしないが夢の法則のようなものに忠実らしく思われる」よいうようなことが書いてあったがまさしく同感。芥川龍之介による評が載っているのもよかった。
内田百けん ちくま日本文学全集
内田 百けん 筑摩書房 筑摩書房
欲張っても
『サラサーテの盤』『冥途』『特別阿房列車』ほか、創作品の代表作とされているものはだいたい含んでいて、かついろんな年代の作品が入っているので、内田百閒を初めて手に取り、一気に全貌を知りたいという人にはおすすめ。
ただ内田百閒は、夢語り風のフィクション作者では終わらず、この本に収録されていない随筆作品にも著名なものが多々ある。また、フィクションかと思って読んだ後で、随筆集を手に取ると、この本に収録されていた幾つかの短編を発見したり、と、フィクションがシームレスに随筆に続いているようなところが底知れない。しかも、代表作と目される作品以外にも強い魅力があって、これを読むと内田百閒をもっと読みたくなってしまうかもしれない。内田百閒の全貌はやっぱりこれ一冊ではまだわからないし、わかったつもりになるのは危険だろう。
最初の一冊としてはよいが、どう欲張っても最後の一冊にはなりえない、と思う。この本を買うなら、百閒にはまるかもしれないという覚悟をしておいたほうがいいかもしれない。
なお、「ちくま日本文学全集」シリーズは、巻末に年譜がついているのがわかりやすい。
第一阿房列車 (新潮文庫)
内田 百けん 新潮社 新潮社
国鉄1950年代
明治生まれの自分の祖父母は「列車を仕立てる」という言葉を使っていた。
大阪始発の列車のことを、大阪仕立ての列車というように。
まさにそんな表現が似合う列車ばかりが登場する。
個室寝台車、1等車(ファーストクラス:JRにはもうない)、食堂車を従えた長大編成の長距離夜行列車。
各車両には列車ボイ(後の乗客掛)が居り、弁当の手配やら食堂の予約やら、荷物の運搬やら、乗客の身の回りの世話をする。
今では名士と言われる人々も列車を利用して長距離移動することは少なく、せいぜい新幹線のグリーン車利用程度だが、この当時の特急列車や寝台列車は彼らにとっても唯一の移動手段であり、ゆえに列車の設備も豪華を極めた。
庶民の旅は依然として急行の3等車であった時代の「オールグリーン」旅行記であり、小説としての他、当時の鉄道旅行事情を知る資料としても楽しめる。
近代紀行文学の代表作?!
この書物に収められているのは1950年中頃、内田“百けん”栄造氏と平山“ヒマラヤ山系”三郎氏が国内を列車で旅行した経緯を、ほぼ詳細に、または滑稽に記されている。
特に内田氏と平山氏は“酒豪”とあって、旅中の列車に食堂車が有れば透かさず酒宴が開かれ、旅先の宿でも、例え“名湯”と言われる温泉に浸かるよりも“酒”を好む、変わった“御仁の旅行記”です。
また、参考文献として、「時刻表/1950年10月号」(復刻版)を利用して頂ければ、読者も“阿房列車の乗客”として楽しめます。
〆
列車に乗る心
1955年の新潮文庫版の復刊。伊藤整の解説もちゃんと収められているのが嬉しい。仮名遣い等は現代文に改められている。
1950年に大阪へ行ったのを手始めに、静岡、鹿児島、東北、奥羽と5つの列車旅を収める。といっても旅の目的は汽車に乗ることだから、目的地での出来事が描写されているわけではない。また、汽車旅を描くといっても、車窓の風景を淡々と綴っているわけでもない。書かれているのは著者自身の心なのである。旅に出ることへの躊躇、列車での不快なこと、自己韜晦、他者への憤りなど。それが面白い。
内田百間は読者を選ぶタイプの作家と思う。著者の人格を気に入るかどうか。そこが評価の分かれ目になると思う。
なぜか眠くなる本。
同僚に面白いですよ!と薦められて借りた第一阿房列車。
著者の内田 百けんは夏目漱石の弟子、芥川龍之介の友人。
「用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」
は、なんかで紹介されているのを読んだ記憶もある有名な一節の本です。
第一阿房列車でも、最初はなにがおもろいんやろ?と理解できませんでした。
東京を12:30発、大阪20:30着の特別急行で出かけ、観光地にも行かず何もせずに一泊して翌日には帰る、あくせくした生活をしている現代人には「まじで?」と思わされます。
そんな調子でいつもヒマラヤ山系をつれてあちこちに汽車に乗って出かけます。
でも、このまったり、わがままな旅に内田さんの独特の思考に笑わされ、このなんともいえないおじいちゃんにいつもお供する山系さんに敬意を感じながら楽しんで読めます。
でも、阿房列車のまったり旅行だからか、布団でこの本読んでると2、3ページ読むと眠たくなってしまい、読むのに時間がかかってしましました。
今日も東京からの帰りののぞみで読んでたのですが、すぐ爆睡してしましました、、
世知辛い世の中でストレスのたまっている方におすすめの本です。
寝れますよ〜(笑)!
重厚且つ軽妙
内田百閒の人間性がにじみ出た楽しい紀行随筆。当てもなく列車に乗る。ヒマラヤ山系君という弟子も魅力的。二人の掛け合いがいい味出しています。研ぎ澄まされたというより、きれいにそぎ落とされた無駄のない日本語も学習になる。出だしの文章が、すっきり切れ味がいいのがこの人の特徴でもある。短く、すっきりした文章、熟達した日本語をどうぞ。
大貧帳―内田百けん集成〈5〉 ちくま文庫
内田 百けん 筑摩書房 筑摩書房
百閒と言えば貧乏
百閒と言えば貧乏というほど百閒先生はまさに貧乏マスターです。本職である士官学校の先生のほかに、法政大学教授、文筆業など複数の仕事を掛け持ちして世間一般の人の何倍もの収入を得ていながら、なぜか百閒先生のところにはいつもお金がありません。
コートや背広は摺りきれて継ぎあてだらけ、帽子もぼろぼろで他人のお下がりを頂戴しながら身なりを整えます。しかも、お下がりをもらうというのに、もらうときの態度が全く下手に出ていません。むしろ逆に、あなたは自分にお下がりをくれなければならないとでも言いたげに、巧みな話術で相手からお目当てのものをせしめてしまいます。
また、この『大貧帖』の主題でもある借金に話が及べば、その振る舞いはまさに神懸りです。なぜ百閒先生はこれほど巧みに借金をし、なおかつその借金を背負いながらこれほど飄々と暮らしていけるのでしょうか。借金というものがあまりにも日常的なものになってしまっているからなのか、それとも根っからそういう性格なのか、この随筆集を読む限り、百閒先生は金というものに対して動じるということが全くありません。
貧乏とは何か、借金とは何か、そして金とは何か、そんな哲学的ともいえる百閒流の深い思索に基づいた「実録借金地獄のしのぎ方」そんな趣の危なくもおかしな随筆集、絶対にお勧め!!
間抜けの実在に関する文献―内田百けん集成〈6〉 ちくま文庫
内田 百けん 筑摩書房 筑摩書房
「忘却論」は必読!
「忘却論」にはなるほどとおもわされました。ゆとり教育が叫ばれる時代になり、それと共に学力低下が問題になっています。百けん先生の考えはじつに学ぶことの意味の的を得ているのではないでしょうか?
色々詰まってます
百閒自身、最終的には解任に追いこまれてしまった法政大学での騒動を描いた『学校騒動記』や、師匠である夏目漱石の臨終に関する話をまとめた『漱石先生臨終記』などのシリアスなものから、表題作になっている『間抜けの実在に関する文献』のようないつもどおりのどこかとぼけた味わいのある随筆まで、雑多に収録された感がある、良くいえばお得な、悪く言えばまとまりのない一冊。
そんな中でも個人的なお勧めは『忘却論』でしょう。「学ぶ」ということがいったいどういうことなのか、ありきたりな回答とは全く違う、意表をついた解答が百閒先生の口から飛び出します。
内田百閒の色々な面が詰まったバラエティーに富んだ一冊、お勧めです!
ノラや―内田百けん集成〈9〉 ちくま文庫
内田 百けん 筑摩書房 筑摩書房
愛情もここまで行くと・・・
とにかくノラとクルツ、この2匹の猫に対する愛情と悲しみが溢れに溢れている随筆集です。
ある日ふらっと百閒先生の庭に現れた野良猫のノラ、百閒先生はこのノラを我が子のごとくかわいがりますが、ある日ノラはフッといなくなってしまいます。それからというもの百閒先生は死に物狂いでノラを探し始めます。その探し方と探している間の百閒先生の悲しみ方には、もはや単なる愛情や愛着という言葉を越えて、ある種の執着とでもいい得るような鬼気迫るものを感じます。
この『ノラや』に収録されている猫探しの場面は、黒澤明監督の遺作になった『まあだだよ』の中でも描かれているのですが、映画の中での百閒先生は単なるかわいいおじいちゃんになってしまっていて、この随筆から読み取れるような愛情に裏打ちされた迫力のようなものが伝わってきません。
百閒先生の凄まじい愛情と黒澤映画とは一味違う百閒先生を見てみたい方にはお勧めの一冊です!
ノラと勝新太郎
内田百間先生の愛猫、ノラの記録である「ノラや」を中心に猫にまつわる随筆がまとめられています。黒澤明監督の映画「まあだだよ」にもノラのエピソードがあるので既知の方も多い作品だと思います。
この集成には、百間先生がノラに出会う前の作品も収録されていて、とてもよい構成です。個人的には、勝新太郎について語るくだりがいつまでも忘れられません。
(※けんの字が変換できないので間の字を代用しました。)
愛にあふれてる。
内田百閒さんの本はこれを初めて読みました。
初めの方は、ちょっと不思議な猫のお話なのですが、ノラが出てくる話からはこれでもかこれでもか、というノラの紹介と、そのいきさつにとてもとても執着していて、でも、それがノラに対する愛にあふれていて、読んでいて涙ぐんでしまいました。
とてもいい本です。
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