芥川龍之介全集〈1〉 (ちくま文庫) 芥川龍之介全集〈1〉 (ちくま文庫)
芥川 龍之介   筑摩書房   筑摩書房  
全集で読まないと損をする作家
 まず芥川龍之介は全集で読むべき作家です。それは作品の大半が短編で、その創作内容が広いためです。純文学、時代小説もの、王朝もの、切支丹もの、明治もの、児童小説など挙げればきりがありません。そして純文学の正道を歩みつつ、ここまでレトリックを駆使する作家も珍しい。多彩かつここまで楽しませてくれる作家もそうはいないと思います。短編集で満足するには惜しすぎる作家なのです。
 
 しかし一般読者にずっと愛されたのに反し、人間の苦悩を好む戦前文壇では永く無視されてきました。短編中心で、ラストの落ちで読者をあっと言わせるような話の書き手である以上合いが悪かったのだと思います。話の大半は最後が幻想文学的で、通常の内容では結末がつけられないと本人が言っている程です。

 この全集の年代順に読んでいくと作品の傾向などの変化が感じられて良いです。第一巻ではシニカルで皮肉的な「MENSURA ZOILI」が一番お気に入りです。どうぞ一度全集を通して読んでみて下さい。きっと気に入る話が見つかります。
文庫ならこれで決まり
年代順がバラバラなこともありますが、
芥川龍之介の年代順に並べたものです。
この本の評価できるところは、左側に語注が常にあるということです。
新潮等だと後に語注があるのですが、いちいち確認するのは面倒くさい。
ハードカバーは高くて嫌という方にはオススメの本です。


芥川龍之介全集 全8巻セット 芥川龍之介全集 全8巻セット
芥川 龍之介   筑摩書房   筑摩書房  
生々流転
 エンタテインメントとしての小説という形態、芥川はその極致なのかなと思っております。特に初期。面白くて、そしてある程度納得する処に落ちる。たとえば魔女は退治される。善きことは知られる。安心してその世界に身を浸せる感覚があります。こんなこと言ったら怒られるかもしれませんが、それは時代劇やディズニー映画に浸る感覚に似ていなくもないと考えます。
 但、晩期に至り作風は大きく変わります。たとえば晩年、小説『歯車』を書いた芥川は「遂に芥川が小説を書き始めた」と好意的に評されます。最初にも書いたように、わたしは小説をエンターテインメントだと思っているので、初期芥川をより評価したいと思っていますが、当時はそうでなかったようだし、現代でももちろん、そうでない人は一杯居るでしょう。
 とまれ、大作家は常に生々流転、ある評価・ある立場のもとに留まることなどないのかもしれません。その流れを知る為にも全集をお薦めします。
一読の価値あり
芥川龍之介の作品はと言われて何を思い浮かべますか?
『蜘蛛の糸』が一番多く『杜子春』とか『蜜柑』が次に多いくらいでしょうか。
しかし、芥川龍之介の作品はこんなものではありません。
一度ゆっくり時間をかけて全集を読んでみるのも悪くないと思います。
短い短編なら10分とかからずに読めてしまいます。

私はやっぱり上に挙げた『杜子春』『蜜柑』が好きですね。

芥川龍之介の「羅生門」「河童」ほか6編 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス 近代文学編) 芥川龍之介の「羅生門」「河童」ほか6編 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス 近代文学編)
角川学芸出版   角川学芸出版   角川書店  
比較的読みやすい
羅生門 鼻
地獄変 舞踏会
薮の中 将軍(抄) トロッコ
河童(抄)  

など芥川の初期から晩期にいたる作品を選んでいる。
読みやすいが作風が時期により変化しているのがわかる。



芥川龍之介全集〈2〉 (ちくま文庫) 芥川龍之介全集〈2〉 (ちくま文庫)
芥川 龍之介   筑摩書房   筑摩書房  
短編「枯野抄」のアイロニー
「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」は芭蕉の辞世の句として伝えられるが、実際は死ぬ5日前に作ったものである。その間のことを書いた文暁の「花屋日記」を参考にしながら、芥川は門弟が集まって師芭蕉の終焉を迎えた時の心理をそれぞれ書き分けている。
 其角は瀕死の芭蕉に、ほとんど何の悲しみもなく、最も堪え難い嫌悪の情ををもつ。去来は満足と悔恨とが交錯し、人が良くて小心な彼の気分を騒乱していた。それも、親に仕えるつもりで師の看病を続けていたからである。支考はちらりと閃いた苦笑をするような、辛辣なところがある。丈草は老実で、つつましく伏し目になって何やらかすかに厳か。
そのように、師匠の終焉に侍しながら、かれら門弟たちはそれとは関係ない利害打算に左右されていた。
 自分たち門弟はみな師匠の最後を悼まずに、師匠を失った自分たち自身を悼んでいる。枯野に窮死した先達を嘆かずに、薄暮に先達を失った自分たち自身を嘆いているのではないか、と支考は厭世的になりながら、しかもそれに沈める自分に得意になっているのだった。丈草もまた、久しく芭蕉の人格的圧力の桎梏に、空しく屈していた彼の自由な精神が力をえる解放の喜びがあった。
 俳諧の大宗匠は「悲嘆限りなき」門弟に囲まれて臨終を迎えたという芥川一流のアイロニーで一編を結んでいる(雅)
芥川の初期の名作集
蜘蛛の糸、地獄変など初期の名作が多く含まれ、価値ある一冊である。自分は晩年の作品より初期のもののほうが好きなのだが、全集<2>の中では、奉教人の死が特にすばらしいと思う。芥川好きには必読の一書。

くもの糸・杜子春(新装版)-芥川龍之介短編集- (講談社青い鳥文庫) くもの糸・杜子春(新装版)-芥川龍之介短編集- (講談社青い鳥文庫)
芥川 龍之介   講談社   講談社   百瀬 義行  

芥川龍之介短篇集 芥川龍之介短篇集
芥川 龍之介   新潮社   新潮社   ジェイ ルービン  
古典になろうとしている芥川作品を新しく読み返す楽しさ
 村上春樹は本書の序文で芥川龍之介を日本の「国民的作家」としている。芥川は「知的エリート」ではあっても、お札になれない「滅び」の作家なのだから、その適任者は夏目漱石になるにちがいない。そんなことはない…「蜘蛛の糸」は小学生、「鼻」は中学生、「羅生門」は
高校生に教材になって親しまれているではないか。純文学の短編が主体の「芥川賞」に憧れる大人…。
 ジェイ・ルービン編者(英訳)の部類分け「さびれゆく世界」「刀の下で」「近代悲喜劇」の後に「芥川自身の物語」を立てて自伝的作品を集めている。一番詳しい芥川の半生「大導寺信輔の半生」に「…どうして僕はみんなと違うんだろう?」と懐疑的になる自画像が描かれている。「或阿呆の一生」はさらに強烈な自意識に満ちた主人公の下降線をたどる激白が続く。「彼の前にあるものは唯発狂か自殺かだけだった」(49節)「世紀末の悪鬼は実際彼を虐んでいるのにちがいなかった」(50節)
 村上春樹のいう「国民的作家」とは、時の試練に耐えた【強固で奥深いもの】をその作品の奥に感得できることであろう。本書には、定評のある名作ばかりでなく、「首が落ちた話」「葱」「馬の脚」などが網羅されており、拾い読むのが楽しい。
わたしにとっての"Book of the Year"!
現代国語に必須の作家で、今年が没後80年。出身の旧制三高(現両国高校)同窓会(淡交会)は今年の文化祭で、教室一部屋を使って、数学の答案(現品)その他貴重な資料を展示していた。

本書の特徴は、読みやすいこと。短編集と銘打っているのだが、317頁という限られたスペース
(うち50頁はまず、編者ルービン氏のforewordで27頁まで。あとが村上春樹の序章=これがけっこうな大作だ)に18話がおさめられている。選ばれた作品群の分類がわかりやすく、とてもいい。

次男の病気をモチーフにした「子供の病気」、自身の心象風景を綴ったと思われる
「大導寺信輔の半生」はとくにおもしろい。三高時代の"暗黒の日々"が赤裸々に描写されているためだ。
研究者、ファンはあらためて読破すべき本。1600円+税という価格は
ちょっと気になるが。

作家たちが読んだ芥川龍之介 (別冊宝島 1385) 作家たちが読んだ芥川龍之介 (別冊宝島 1385)
芥川 龍之介   宝島社   宝島社   北 杜夫  
代表作20編と読み心地が良いコメントで二重丸
別冊宝島より芥川龍之介没後80周年企画として出版された芥川龍之介作品集。代表的な20作品を収録しているが、それぞれの作品の冒頭に著名な作家たちの作品へ対するコメントが2ページ程で載っているがとても味わい深い。サイズもB5版と書棚に収まりやすく、サイズの割に文字も大きく読みやすい。本体価格が770円でこれだけ読めるなんて有り難く思う。芥川氏についての解説は10ページほどしかなく、作品をメインに読ませる構成になっているのことに好感を覚える。作品集にはザ・シリーズもあるが、本のサイズや文字の大きさからするとこちらの方が馴染みやすいと思う。有名作品ばかりなので既読のものも多いが、改めて芥川作品に触れて新たな感慨を覚えた。初心者向けにも家宝にも適した一冊だ。

芥川龍之介全集〈3〉 (ちくま文庫) 芥川龍之介全集〈3〉 (ちくま文庫)
芥川 龍之介   筑摩書房   筑摩書房  
我々は我々自身さへ知らない――「侏儒の言葉」より
◆「秋」

  自分が想いを寄せていた男性を、妹に譲った女のその後の話――、
  と、表向きは要約することができる本作。

  しかし、本作で描かれるのは、一人の男を巡って繰り広げられる、姉妹の濃密な情念の
  交錯などではなく、人生を「物語」のように生きようとして挫折した女が、依って立つべき
  現実を見失い、呆然と途方に暮れる姿です。


  憎からず想っていた小説家志望の従兄ではなく、将来有望な商社マンと縁談で結婚した信子。
  しかし、蜜月が終わり、夫との間に溝を感じ始めた信子の心は、満たされていた過去に向かいます。


  かつて女流作家を目指していた自分、
  かつて自分を愛してくれていたはずの男、そして、
  かつて自分がした「犠牲」に涙を流して感謝してくれた妹……。


  そうした過去の「物語」に身を置くことで、自己を取り戻そうと、
  妹夫婦のもとを訪ねた信子は、「物語」を演じる「共犯者」で
  あった妹の、思いがけない裏切りに遭うことになります。


  我々は、自分自身が本当は何を望み、どうしたいのかすら分からない――


  本作は、「現実」を徹底的に相対化することで、リアリズムへの懐疑を訴えかける作品だといえます。

蜜柑が収録されてます
大正期における日本のキリスト教受容の様子がよく分かる
「きりしとほろ上人伝」、
映画にもなった有名な「南京の基督」、
教科書によく登場するハートフルな「蜜柑」(みかん)、
個人的に大好きな「舞踏会」等、いい短編が収録されています。
好短編「蜜柑」の無限の味わい
 わずか6頁の短編である。 ゛
 ある曇った日暮れ、「私」は疲労と倦怠感を覚えながら、二等客車に乗って、発車を待っていた。発車間際に、13、4の小娘が一人慌ただしく中へ入ってきた。彼女の服装が不潔なのが不快だった。一切がくだらなくなって、よみかけた夕刊を抛り出して、窓枠に頭をたせながせら、死んだように窓枠にもたれ、うつらうつらし始めた。
 しばらくすると、彼女は私に頓着する様子もなく、窓から外へ首を伸ばしていた。汽車がトンネルを抜けると、踏切の柵の向こうに頬の赤い3人の男の子が並んで立っているのを見た。半身を乗り出していた娘はその子供たちに向かって持っていた蜜柑を五つ六つ投げてやった。私は思わず息を呑んだ。そうして、刹那に一切を了解した。 
  その説明は不要であろうが、作者は念を押すように「恐らくはこれから奉公先へ赴こうとしている小娘は、その懐に蔵していた幾顆の蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切りまで見送りに来た弟たちの労に報いたのである」の一文を添えている。
 私は得体の知れない朗らかな心持ちになる。これがこの短編の快さでもある。初めの「倦怠と疲労」感を、最後にはわずかな間でも忘れることができた心地よさを述べている。
 芥川の憂鬱がこういう小景で快癒されはしなかったはずであるが、ふと車中で見た小景に材を得て、「束の間の癒し」の好短編に仕上げた才はさすがである(雅)
芥川3
【蜜柑】では芥川の、人生に対する陰鬱な気持ちを一瞬だけ忘れることが
できたという場面が出てきます。それは横須賀線で出会った少女の
一連の動向に、感情を揺さぶられた後に到達するのですが、それら
は少女の躍動感ある描写と、芥川の気持ちの推移が同じく展開され、最後は読んでいるこちらも、パッと明るい気持ちにさせてもらえます。
【秋】では妹に愛する男を譲った姉の話です。芥川といえばあまり
恋愛を題材にしていないと思うのですが、女性の愛情、嫉妬、諦念などを
描写しており、当時の世相を考えると、この姉の気持ちがすごく理解できるな
と、感心してしまいます。全体的には、今の世の中の恋愛事情からはあり得な
い展開だと思えるのですがそれでも、昔は良かったのかなと思わせる
美しさがあり、芥川の文学性を感じることができます。
【南京の基督】では、かつて洗礼を受けた中国の15歳のクリスチャンの
売春婦が基督に会い、病気が治るという物語です。
実際少女が会ったのは、風貌が基督に似ただけの客であるのですが、'信じるものは救われる'という案外普通のストーリーを少女の不遇な境遇から、そう言う事があっても良いなと思わせてくれる芥川の力量を感じさせられます。また、基督絡みでは奇怪な結末や、幸せとは言えない結末の多い芥川の作品の中で珍しく救いのある最後のような気がします。

芥川龍之介全集〈5〉 (ちくま文庫) 芥川龍之介全集〈5〉 (ちくま文庫)
芥川 龍之介   筑摩書房   筑摩書房  
大導寺信輔の半生−或精神的風景画
 本全集第5巻には、36編の短編が載せられているが、その中から注目すべき、大正14年(1925)発表の「大導寺信輔の半生」のみを取りあげる。
 数少ない自伝的作品で、自分の精神形成の根底にある生い立ちについて語っている。その世界は陰鬱で自虐的でもあり、告発的でもある。作中の信輔は作者龍之介の分身であることは間違いない。
1、本所 母の実家のある本所。ここは感じ易い信輔の心に無数の追憶的風景画を残した。そこは自然に乏しかったにせよ、美しい自然を愛するようになった。ある朝、隅田川の百本杭にからまった死骸があったのを忘れられない。
2、牛乳 体の弱かった母の乳を吸ったことがなかった。瓶詰めの牛乳のほかに母の乳を知らぬことを恥じた。叔母の乳を吸っていた女の子に嫉妬を感じた。
3、貧困 彼はいつか貧困に対する憎悪そのものを憎んでいた。このような二重の憎悪は二十歳前の彼を苦しめ続けた。
4、学校 彼は試験のある度に学業はいつも高点だった。が、いわゆる操行点だけは一度も6点を上らなかった。彼に与えられたのものは、畢竟落莫とした孤独だった。
5、本 小学校時代から本に対する彼の情熱は始まっていた。あらゆるものを本の中から学んだ。人生を知るために街頭の行人を眺めなかった(雅)

長篇小説 芥川龍之介 (講談社文芸文庫) 長篇小説 芥川龍之介 (講談社文芸文庫)
小島 政二郎   講談社   講談社  
「長編小説」と銘打たれた芥川へのオマージュ

本書は、先頃河出文庫より出た『円朝』に続き、小島政二郎の文庫本復刊第2弾といったところだろうか。『円朝』に好印象を持ち、また同レビューで触れさせていただいた某古書関連ブログにも紹介されていたので即購入。

著者は芥川とは直接の知己だっただけに、興味深い逸話がいくつも語られる。例えば、第8章で触れられている芥川の英語の速読(多読)能力についての話。芥川は英語の原書を1日に1200頁以上も読めたという。そしてただ速く読んだだけではなく、ちゃんとした批評もできたらしい。また、芥川は3、4人の知人たちと話をしながらでも本を読むことができたらしい。(この逸話を読み、イギリスの作家D.H.ロレンスは友人たちと雑談しながらでも小説の原稿を書くことができたという話を思い出した)このような凄まじい読書量から得られた浩瀚な知識や幼少時より身につけた漢文の素養があったわけだから、芥川が作家になったのは必然であったといえる。

芥川は作家になる資質のすべてを持っていたとひとまづ言えるのだが、小島政二郎にはそうは思えなかったようだ。いい文章を書こうとする「物語作家」でしかなかった芥川は、ついには「小説家」になりえなかったと著者は無念さをこらえながら述べる。

小説は本質で勝負すべきものではないか。どうしてその大事な本質を文章で化粧して隠してしまうのか。(本書126頁)

本書において、このような言辞が何回となく繰り返される。美しく、上手い文章が書けること、そしてたくさんの言葉を知っていることは必ずしも作家にとって必要な資質ではないのかもしれない。芥川の言語的天才が自身を「小説家」になるのを妨げた。著者の主張はこの一点に尽きるだろう。

とはいえ、これらの言葉は芥川への批判と言うよりも、芥川が本来の能力を出し切ることができなかったことへの無念さとして綴られる。著者にとっては、才能にあふれた芥川は雲の上の人であったことはまちがいない。この作品で「芥川龍之介」という一人の作家の人生を著者みずからが「生活」してみせることで著者なりの敬意を払っているように思える。そしてそのような意味で、著者は本書にあえて「長編小説」と付した、と私は考える。

小島政二郎には、同じ芥川を論じた『眼中の人』(岩波文庫:現在絶版?)という作品もあり、未読なので機会があればこちらも読んでみたい。
大正文学史梗概
たとえば。

真山青果の『随筆滝沢馬琴』には、馬琴の人生観を感じる。
真山は馬琴の性格を発見している。
そこが面白い。
しかし馬琴を書いた芥川の『戯作三昧』にはそれがない。
馬琴の生活がない。
芥川の哲学あるだけだ。
芥川は馬琴を生活していない。
学問で補っている。
学問で補えないのが小説だ。

「僕はついニ三日前の夜、夢の中に彼と話していた」
「夢のなか《に》」は普通《で》と書くだろう。
芥川は濁音の汚さが嫌いだった。
この語感は詩人の感覚だ。
綺麗も汚いもない。
雑多紛々が人生だ。
《で》や《が》が娑婆そのものの音ではないか。
芥川の小説家ではない性格を暴露している。

小説家(志賀直哉ら)に対置して、しかし晩年志賀に傾倒した物語家(芥川龍之介)の悲運を、
100歳まで生きた、芥川より2歳年少の、文壇の生き字引的存在の小島政二郎が、
菊池寛、谷崎潤一郎、佐藤春夫、志賀直哉、夏目漱石、森鴎外ら文人とのエピソードや、
挿話逸脱を織り交ぜつつ、平易、直叙的、簡潔な文体で綴る。
260頁も読み易い。



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