人間の覚悟 (新潮新書) 人間の覚悟 (新潮新書)
五木 寛之   新潮社   新潮社  
いちいち胃の腑に落ちる思考と感覚です
 五木さんの文章はほんとに心地よく滑らかですべての細胞に沁みこむ感じがありますが、それは文章の達人というだけではなく思考の原点に五木さんの言われる「他力」を感じるからでしょうか?そしてまた日本人としての遺伝子の中に組み込まれて深く沈潜している心身や脳の記憶が呼び覚まされるからでしょうか?芸術家は普通の人が見えないものを見せてくれるといいますが、まさに自分の中に確かに潜んでいるのだけれど形として理論としてうまくまとめられないものを系統立てて呼び起こしてくれるような喜びがあります。
 いちいち納得することばかりですが、戦後50年間日本国全体がこぞって躁状態にありその中で国民たちはある意味躁的に生きてきた、今その頂上を過ぎて下山(鬱)の時を迎えている。人生の春夏秋冬、またインドで分けるような四つの時期でいうなら社会全体が秋冬であり、林住期から遊行期になってきている。登山の時には足元しか見られなかったが下山の時こそ俯瞰して物事がよく見える。そして不合理で不条理な世界に身を置き、老いて或いは病を得ても尚生きて在ること、それだけで価値があると締めています。

覚悟とは、諦めて(明らかに究めて)頼らないこと。
 自分の今後の生き方そして物事の理解の仕方の軸になる本です。お薦めです!
期待しないと覚悟する生き方
これまで私は期待しないで生きてきた。
 社会に期待しないし、友人にも恋人にも期待しない。
 会社にも期待しないし、結婚した今では、妻にも子ども
にも期待しない。
 
 例えば、妻だから家事をするのは当たり前と期待しない。
子どもは親孝行するもんだとは期待しない。社会や国が
自分を守ってくれるなん期待しない。
 
 虚無的で後ろ向きな考え方だと思われるかもしれないが、
決してそうではない。
 期待していないからこそ何事も自分でしっかりやろうと
思う。はなから期待していないので、期待した結果が得
られず腹がたつということもない。期待していなから批
判的になることもない。もし、何かいい結果が得られた
のならば、期待していなかったから、その分喜びも大き
い。

 10年以上そうやって生きてきたが、この考え方には随
分助けられたと思っている。

 こういった考え方をするようになったのは、五木寛之さ
んのこれまでの著書の影響が大きい。
 
 本書は、これまでの著書以上に、「期待しない生き方」
に焦点を絞っていると思う。

 期待しないと覚悟して生きていくのだ。

《本書のポイント》

○諦める(明らかに究める)覚悟をもつ。
○自分が信じると選択したことに裏切られても後悔しな
 いと覚悟する。
○善意は伝わらないと覚悟する。
○人生は不合理だと覚悟する。
○一件落着主義はウソであると覚悟す。
○国や法律は守ってくれないと覚悟する。
○健康な体は決してないと覚悟する。
○最低限から考えてみる。
○体の声に従うことが大切。
○「中道」の考え方が大事。一方に偏らないという意味
 ではなく、両方大事という考え方。
○人は生きただけで偉大なのだ。
○いいことをしてもひけらかさない。(中国の「隠徳」
 という考え方)本田宗一郎氏の苦学生への奨学金の例
○資本主義は終焉の時期が来ている。
○統計などの数字よりも自分の実感を信じる。
○「格差」は、あることが問題ではなく定着すること
 が問題。
○躁から鬱の時代(下降していく時代)に入った。
○下降する社会と上昇しようとする摩擦が若者が感じる
閉塞感につながっている。
○日本人は文明は西洋から取り入れたが魂までは取り入
れていない。
すばらしい本です


 久しぶりにすばらしい本に出会いました。電車の待ち時間に買った本ですが、
五木さんが人生を終わるにあたって「国家にも、人の絆にも頼ることなく、人は
どのように自分の人生を向き合えばいいのか」を教えてくれるすばらしい本です。
 人生を登山にたとえると50歳で頂上に登ったとすると、登山は山登りに成功
するだけでなく、安全に下界までたどり着くことができて「登山が成功した」事に
なるのです。
 山を下りるときにいかに綺麗に山を下りていくかを教えてくれる本です。
 人生を生きて行くには、毎日、一日一日を大切に充実させて生きていくしか
ないと思います。
 毎日毎日を生きる大切さを教えてくれる一冊です。
あきらめるという覚悟を持つの大切さを教わる
 「高度経済成長」「所得倍増」など皆が一種の痩状態になって頑張り上り詰めた時代とは違い、不況や年間3万を越える自殺のニュースなどの暗い世相の中、一個人がどのような考えで生活をしていけばよいのか、語りかけてくれる。

 第一に、生きているということがどれだけすごいことであるのかを、常に心に止め、何でも良いので人のお役にたつことを行っていく。また、あきらめる覚悟を持つ大切さを教わった。

人間の関係 人間の関係
五木 寛之   ポプラ社   ポプラ社  
当たり前のことを認識する事が大切!
この本には、何も特別な事が書かれているわけではない。歳を重ねていけば、自ずと分かってくる事。五木寛之が読者に何かを与えてくれるわけではない。「人間の関係」という言葉の意味するところは広大だ。読者がこの本を触媒にして考えたらいい。この本から何かを得ようとしない事です!レビューアーにとっては「心の通う個性ある、独立した仲間との人間の関係」
こそ必須だと思う。その関係を形成するのが現代社会では特に困難である。若き時からの自己形成なくしてはそれは叶わない。本書をお読みになって、考える本です。しかし、人間を見なくては、関係は形成されず著者の「関係」を見よ!は不可能。これが小説家のテクニックです。これが読者の心惹き付ける。普通の当たり前の事が書かれし本ですが、その後、自己努力必要です。この著者の言葉に共鳴するも良いが、それは古から分かりしことを著者なりに述べたに過ぎないが、流石作家だ。良き言葉溢れている。著書の根底に仏教観流れしこと分かる。レビューアーの原始仏教観とは異なるが気にはならない。是非お読みになり、自分自身の感性に共鳴なされば良いですね。
Sept-masque de couleur



闇の中から光を知る人生観
五木さんの本は深いなぁ〜、いつもしみじみと読ませていただいています。

人間のタイプを二つに分けるとしよう。
光と影、明と暗。
筆者は間違えなく後者。
闇の中から人生を見て光を知る。
明るい光の中にいて、闇を知るタイプとは根本が違うのでしょうね・・・。
筆者と同じタイプの人ならば、この本を読む中で“光”を見つけられると思う!!

「生きることは苦である」:仏教
「人は泣きながら生まれてくる」:リア王
しかし本の題にある様に、人間関係に着目すると“光”が見えてくることを著者は教えてくれた☆☆

本の中にあった興味深い言葉として、
「お布施は行として考えると自分のためにする行為。すべての行は自分に返ってくる。
だから、人から感謝を期待するのは間違えである。」
見返りを求めない生き方が筆者の言う“信頼”ということでした。
“覚悟を決めて何かを誰かを信頼する”そうしない限り不信の荒野を生きるしかない・・・。
信頼する覚悟を決めれば“光”にたどり着くのでしょう☆☆

そして、“慈悲”という言葉。
怪我をしたときに「痛くないよ」と励ます父。「痛かったわね」と寄り添う母。
慈父と悲母の二つの愛がある。
バブルを過ぎた今は、頑張れより母の愛が必要だと。
慈悲も“光”を射す一つのものだと知った☆

鬱の言葉の意味。
鬱には“うっそうと茂る”というエネルギッシュな意味もあるという。
エネルギーがあるのに出口を抑えられているのが鬱病。
自分や社会に対する生命力が鬱。
鬱もまた“光”の裏返しなのかしら?と私は感じられた!!

こうしてまた一つずつ、闇の中から光を見つけ私達は生きていくのかな?と感じた。

光と影、明と暗、両方あるから酸いも甘いも感じられる醍醐味。
人生経験が豊富な著者だからこそ、説得力をもって語られていた。
深い味わいのある本でした。読み終わった後はすっきりしました☆☆


重みが違いすぎる
流れるような文章で分かりやすくスラスラ読めますが、文中の一言一言に非常に重みがあります。

#5パーセントを信じて生きる
#「憂える」ことの大切さ
#「愁」こそ人生の真実
#慈のこころ、悲のこころ
#感謝を求めない

などなど自分が行っている日常の臨床にも通じる所があると思うし、この著者が書くからこそ説得力があると思う。

ポイントは『関係』
結構お年の方が書かれた本のわりには内容は今の時代に
適用するためには的な、斬新で分かりやすい表現が多かった。

変わりゆく時代に、『人間』自体を考えて変えようとするの
ではなく、『関係』を考えるというこうとが大事だと。

家族も友人も国も社会も。

読みやすく分かりやすくスラスラ読めます。『関係』が
いかに大事かそこがこの本のポイントです

読みやすい、わかりやすい!
自身は読書が苦手な方で、今まで「五木寛之」さんの著書を手にしたことはありませんでした。
しかし、そんな自分にも読みやすくわかりやすい表現で「生き方のヒント」のようなことが書かれています。
本書の最初の方に「3冊のノート」の話が出てきますが、その中の「歓びノート」を実践するようになって、自身がプラス思考に転換しつつあるように感じています。
「人間関係」に悩む方にオススメの作品です!

林住期 (幻冬舎文庫) 林住期 (幻冬舎文庫)
五木 寛之   幻冬舎   幻冬舎  
人生の後半を積極的に肯定する
「大河の一滴」ほか、著者の他の作品とトーンは似ている。今回のテーマは50歳から75歳までの25年間を「林住期」として、「人間が義務を離れて自分のために生きる時期」と位置づけ、積極的に肯定する。面白かったのが、昔、人間の中心点は「胆」であって、次に胸や心臓など「心・ハート」が重要視され、今は「脳」の時代と、どんどん上に上がってきている。脳科学者が多くテレビに露出し、多くの人が脳トレにはげむ時代は来たるべくしてやってきたのだと思った。
林住≠臨終
『天命』に引き続き、文庫化にともなって購入しました。
五木さんの死生観は一貫しているなぁと感心しました。
人生100年のご時世。
人生において「林住期」が最も充実した期間という五木さんの言葉は優しく説得させられる。
50で仕事から退き、自分の好きなことをやろう!!と元気を貰える。
しかし現実問題、諸々の事情からなかなか実現は無理かも知れない。
それでも退職後、不毛に余日を過ごすことだけはしたくないものです。

巷ではアンチエイジング等、老化に逆らうことが叫ばれているが、
自然の摂理に身を委ねることも大切かと考えてしまいました。
身体は必ず衰えていきますが、精神の若さだけは失いたくないものです。

もう私は「家住期」に位置してますが、記されてることとは大分遅れをとってます;
充実した「林住期」を期待しつつ、今を大切に生きていかねばと肝に命じた次第です。
「林住期」こそ人生のクライマックス
古代インドでは、人生を次の四つの時期に分けて考えていたと言う。「学生期」、「家住期」、「林住期」、「遊行期」。本書は、現代では50-75歳に当たると考えられる「林住期」に焦点を当てたもの。従来は「林住期」は人生の最盛期の後に来る黄昏時だと考えられていた所を、「林住期」こそ人生のクライマックスと捉える試みである。

「"苦"の世界の中で"歓び"を求め、真の"生き甲斐"を探す」、これを「林住期」の意味だと考える。その実現には"発想の転換"と言った安易な道はなく、慎ましい日常の努力の積み重ねが重要と言う。著者は「林住期」には「re-(reset, restart etc.)」ではなく、「Jump」がふさわしいとする。「学生期」、「家住期」を土台としたジャンプである。社会や家族への義務を「家住期」で果たした後の「林住期」では自己本来の人生に向き合うべしとする。家の解体も勧める。ある意味での「出家」である。このためには「家住期」からの準備(目的、資金)が必要である。「林住期」は実りの時期なのだ。鬱病への対処法(共に生きる)や呼吸法(「気づき」の重要性)等、「林住期」にとって重要な健康法についても述べられる。「林住期」になってからの勉強が本当は面白いと言う論もうなづける。最後にブッダに絡めて、「思うようにならない世の中」を生きて行く道の存在を語る。

本書を読んで、「何だ、結局は精神論じゃないか」と批判する事は容易である。だが、「林住期」のスタート時点に立っている私はある種の安らぎを覚えた。五木氏はバブルの崩壊後、中高年の自殺や鬱の発症の増加を憂いて、「大河の一滴」等の"魂の救済本"を多く出版している。本書もその流れを汲むものだが、具体的ノウハウを排し、読む者の心に優しく語りかけた内容は、安らぎと希望を「林住期」の方に与えるだろう。
五木寛之の半生記に注目!!!!!
■ 【久々の出会いです】
一ページ500文字として凡そ250ページの少なめのボ
リュームの文庫本です。かって、複数巻ある「青春の門」
を夢中で読んだのは30年も前のこと。あの頃は、「さらば、
モスクワ愚連隊」など、時代の雰囲気を織り込んだ、古
典文学とは一味違う文体に惚れ込み次々と著者の文庫
本を買い込んだことを久しぶりに思い出しました。

■ 【「林住期」とは? 】
季節・方角・物事などアナログを四分法として把握する
知恵があるが、紀元前2〜3世紀のインドでの考え方で、
人生を「学生期」、「家住期」、「林住期」、「遊行期」の四
分し、三番目を指し示すものだと言う。。人生の半分は、
世の為、他人の為に働き、後半こそ真に人間らしい自己
の生き甲斐を求める時期で、「林住期」、「遊行期」であ
ると言う。本書では、全体で凡そ250ページあるが、80%
が林住期、20%を「韓国からインドへの長い旅」というタ
イトルで、自分の半生記を簡潔に歯切れよく著わしてい
る。(個人的には、こちらの方が興味深かったが。)

■ 【一区切りは25年か? 】
確か、英語でのワン・ジェネレイションは30年であり、
又、生物学的には「人間の寿命は、130年である。」こと
からすると、四分法では、一つが40年位になってしまう。
著者の言う、25年も確定的なものではなさそうだし?こ
の国の政治家は、70代でも現役だし。などなど考える
と、ワン・ジェネレイションが25〜40年位で、各自が設定
すれば良いのか?

■ 【悩める人生の応援歌 】
最近の、夏目漱石の草枕を彷彿させつ「悩む力」(羹尚
中著)や、流行り歌で学生期の自分が未来の自分に宛
てた手紙を題材にした「手紙」(アンジェラ・アキ作詞作
曲)など悩み多い人生の応援歌の一つとして本著書は
加えられる作品ではないでしょうか。


遊行の門 遊行の門
五木 寛之   徳間書店   徳間書店  
老いを楽しむ。
日刊ゲンダイ連載の「流されゆく日々」、週刊現代の「新・風に吹かれて」に掲載されたエッセイを構成、加筆したものです。遊行とは、古代インドの人生を四つの段階に分ける思想に由来しています。学生期、家住期、林住期、遊行期の遊行です。以前五木さんは、林住期という本をお書きになられています。それを読んだ時に、自分の人生に対する浅薄な考えを一変させられた覚えがあります。遊行の門とは、人生最後の段階の心構えのようなものだと思います。心構えと言うほど型に嵌ったものではありませんが、こんな感じで遊行期を迎えたいという五木さんの思いが綴られてゆきます。とても共感を覚えます。自分なりに薄っすらと残り時間を何に使うか、死を迎える時期をどのように過ごすのか、といったことを考え始めました。
人は生きているだけで価値がある。
「人は生きているだけで価値がある」
−そう語る五木さんの言葉は仏の慈悲そのものであり、五木さん自身が仏の化身とさえ思えてくる。
生きることに真面目すぎて、ついつい「何のために生きるのか」と、人生の目的を自問し苦悩を抱えている人にはぜひとも読んでほしい。その「答え」は書かれていないが、答えに代わるものは得られるはずである。
なんか暖かい本
本当は[聖書かも!?]ってレビュータイトルに記入したかったのですが、
宗教がらみにとらわれたくないので、あえて思った温度で表しました。
すっかり活字離れしていた私ですが、タイトルにひかれ手にとったら最後!?
夢中になって読んでしまい、久々感動というかホッとしたというか勇気づけられ、
改めて五木さん、いや、先生の暖かさを感じた気がします。
老若男女に加え万国共通、誰にでも分かり易い共感してしまう本だと思います。

五木ひろし
五木寛之流の価値観での作品だが、非常にわかりやすく、またおもしろい。参考になる言葉も数多い。わかりやすく書いてあるので、老若男女問わず読める。人間は生まれた時から死というものが必ず来る。長く生きれば、体も変化してくる。その時、あなたならどう思う?これからは鬱の時代らしい。本書を読んでみるのをお勧めする。
人生の最期は子どもに還る
 私は福祉を仕事にしているので、高齢者と接する機会は
多い。
「面倒かけてすまないね」と本当にすまなさそうに詫びる
高齢の方は多い。
 元気な方でも、人の助けを得なければいけない状態が
来ることに恐れおののいている。 
 それは、当たり前のことかもしれない。
 ただ、本書の言う「遊行期」、子どもに還っていく時期
なのだ。
 本人よりも関わる我々が当然のこととして理解していな
ければいけない。
 

「遊行期」、すなわち人生の最期は、子どもに還って
遊び、戯れる時期であるという。

 体が不自由になり、人の助けがないと日常生活がおくれ
なくても、まして下の世話をしてもらうことになっても、
それはあたりまえのことなのだ。

 幼な子はみんなそうなのだ。
 何も恥じることはない。人はみんな人の世話になって
下の世話もしてもらい、育ってきたのだ。

 子どもに還るとは、その道を戻っていくことなのである。

 本書は、遊行期の話だけではない。格差社会や鬱の話し、
鬱と躁の考え方で時代をみた、著者の独自の視点もたくさん
盛り込まれている。

 以下、印象に残った言葉を自分の言葉でまとめておく。

《書きとめておきたい言葉》

○格差社会が最近話題となるが、そもそも人間は産まれた
 ときから格差を背負っている。

○人は生きているだけで価値がある。

○ブッダは自分の思想を書物に表していない。
 人々に語ったのだが、独白ではないことが重要である。
 文章であっても独りで書くものだ。
 あくまで対話、質問に対しての答えが重要としている。

○最近の医学は、細分化し、何かと人間生活の乱れに対し
 ひとつひとつ病名をつけ、病気のうちに入れてしまう
 傾向がある。高血圧しかり、ウツ気分しかり、メタボ
 しかり。

○明るさと暗さは人生の両輪。

○生きることは、楽しさだけではなく、鬱という思い荷物
 を背負って歩くことと覚悟する。

○常に変化し、老いていく体と心をできる限り安定した
 状態に保つための工夫が養生である。

大河の一滴 (幻冬舎文庫) 大河の一滴 (幻冬舎文庫)
五木 寛之   幻冬舎   幻冬舎  
自己啓発
勉強にもなるし、知識も深まる良い本だと思います。

ただ、「自己啓発本」的な要素があると思うので
しかも、ストーリーにて訴えるものではないので、
そういう直接的な表現が苦手だったりする方は
読むのがシンドイかもしれませんね。
「心の内戦」にとらわれない導きとして
「人はみな大河の一滴」という章タイトルに惹かれて読んでみた。10年前に発刊された本とはとても思えない。今、現在において、語りかけてくる本だった。大ベストセラーになったた理由に納得。単なるブーム本でなく、生き方に問いかける故なのだ。「大河の一滴」は輪廻転生の風土にマッチしていると感じる。平和に見える目前にある「心の内戦」、Aと非Aの共存(あれかこれかではなくあれもこれも)・寛容の関係、「悲」の思想が必要とされる時代など、10年経ってますます重要なキーワードになっている。
奥が深い
奥が深いですね・・・
私の勝手な感想です・・・

私は著者が、おりの中に閉じ込められて生活しているような感じがしました。
なにか不自由な感じがしました。
なにか抽象的で答えのないものを探し、追い求め、自分を責め、複雑で難しい生き方をしているのかなと思いました。
傍らで微笑む存在
大ベストセラーの記憶も遠くない、五木寛之の書。龍谷大学で仏教史を学び、浄土真宗の影響を受けて育ったという著者は、紛れもなく骨の髄まで『門徒』だ。いや、むしろ彼の言葉を借りるなら、手の指、足の爪先まで真宗の流れを受けているようだ。

これは浄土真宗を広めるための宗教書ではない。
でも、この乾いた時世にこれからの人生を進もうという私達に『ひとつの手段』として、浄土真宗的哲学から、ヒントを与えようとしている。
押し付けるのではなく、淡々として口調で。

恐らく大方の人が意表をつかれたんじゃないだろうか?人間の暗さや絶望を認めることが、人生を受け入れる事であると、人生に希望をもって生きる事であると言っている。

繰り返すが、この本は今も続くベストセラーになった。
実利主義・競争主義の世の中に、本当は人間誰もが哲学を必要としている。個性や違いを認め合える寛容さを、悲しいとき一緒に悲しんでくれる存在を求めている。親鸞が生まれた時代も、今自分が生きるこの時代もそれは変わらないのだな、と思った。
乾いた現代で、傍らで微笑んでくれる存在、一緒に微笑んでくれる存在を求めている人間の性を、浄土真宗の視点で訴えた1冊。
無性に悲しくなった時に
この本は自己肯定のススメだと思いました。世界の不条理に生きにくさや、生きるつらさを
感じ、そんな自分は弱い人間だと悲観していましたが、それでも私に生きる価値のある事を
伝えてくれるような気がします。

息の発見 息の発見
五木 寛之   平凡社   平凡社  
無自覚の自覚「息」
「いのち」は「息の道」であるという。それほど大切なことに気づいた作家五木寛之が、この【息をテーマ】に禅僧で作家の玄侑宗久との全編対談集。 
 例えば、人生の最初の息と最期の息について真剣に話し合っているが、結論が出ないまま持ち越している。
五木「人は息を吐いて生まれ、息を吸って死す…」
玄侑「人は息を吸ってこの生を受け容れ、息を吐いて休息する…」
 人間はどこから来て、どこに行くのか。息にまつわる話の向こうに大きなテーマが見えてくる。浄土とつながっていしる呼吸なのである。
玄侑「浄土教そのものが、呼吸と関係していると思うんですよ」
五木「来世観が、呼吸に関係すると、それはおもしろい」
玄侑「末期の状態で光を見る体験といいますかね」
「禅の呼吸法では古きを吐き、新しきを収める」「いろいろな呼吸法を試してみる」「一日五分、息そのものになる時間をつくろう」
 

人生の目的 (幻冬舎文庫) 人生の目的 (幻冬舎文庫)
五木 寛之   幻冬舎   幻冬舎  
憂う
五木寛之は憂いの作家であり、大御所となった今でも
目線は常に一定の軸がぶれない庶民目線である。
だからこそ、大衆に支持され続けるしその眼差しは優しい。

なんとなくこうじゃないのかなと思っていたことを
平易な文章で簡潔に教えてくれる。
困っているときにそっと背中を支えてくれる優しさがある。

お金、親孝行、知足・・・なるほどそうだなと
人生の道しるべとなりうる話が本作でも数々語られている。
人生の目的を考えてみる
 人生の目的とは?と問い、さらに「人生に目的はあるのか?」と問う。
 この問が重い。

 何かに悩んでこの本に辿り着き、その答えを求めて読んだ人もいるかもしれない。しかし、人生の目
的を問われた時に、明快な答えなんて存在しないだろう。

 作者は言う。受験に失敗したから価値のない人間か?良い会社に就職できなかった自分は敗者か?貧
乏だから駄目な人間なのか?
 
 人間は生まれながらにして不公平である。これを認めることから自分の存在を受容しなくてはならな
い。運命や宿命と定義づけられるものは、自分の責任ではないし、コントロールできる部分ではないか
らだ。 苦しくても、辛くても・・・・耐えて生きて行くことが人生の目的かもしれない。生きていな
ければ、何も起こらない。何も変わらない。

 五木寛之の思考した過程をたどって書かれていることが、読者にも浸透しやすいように思える。


読みやすく、日本人に合っている。
人生論、幸福論などは著名な哲学者、文学者によって執筆されています。
その多くはやや哲学的すぎたり、
抽象論、欧米的な側面が強く、
具体性に欠けるという点があります。
「人生の目的」という本は著者の経験を基本に
日本人の人生の壁を仏教の観点もまじえて論じています。

特効薬では決してないが・・・
タイトルの「人生の目的」を明瞭に示したものではなく、
五木氏が「人生の目的」を考えるプロセスを示した書。

前半部分は、命を軽々しく投げ出す現代においてこそ
問うてみるべき「人生の目的」について触れられ、
後半部分では五木氏ご自身の半生が語られている。

人生の目的という、漠然としている命題について
明瞭な答えが示されたわけではなく、なんともモヤモヤした結びではある。
しかし、“あるべき”結論の強調ではなく、
本音で考えたことをぽつりぽつりと話していく感じだからこそ、
それでも「生き続けるべき」との声がそっと後押ししてくれる。
「青春の門」を読んだ人も、読んでなくても、忘れた人もこの本も読むといい!
平成11年に書いた五木寛之先生の人生論。
 シンプルで、奥が深くて、読みやすくて、いい本です。
 人生を、もう一度シンプルに捉えるには、きっと参考になる本です。

 人は何のために生きるのか?
 あなたはなぜ働き、恋をして、家庭を持ち、子を育てるのか?
 なぜ、日本で、なぜ、その場所で、今生きているのか?
 そしてどこへ行くのか?


凍河 凍河
五木 寛之   平凡社   平凡社  
社会情勢への配慮が裏目に出てしまった“新装版”
いきなり言葉が悪くなり申し訳ないが、本書は、30年以上前に発表された小説の“焼き直し”である。
再刊に際し、精神疾患に関連する研究や治療法の進歩と、それに伴う世相、なかんずく当事者の人権や社会感情などに配慮して、誤解を招きそうな用語や表現を改訂したとのこと。昨今の社会情勢を考えればやむを得ない処置か。
その他の基本設定は全く変えられていない。そこまでいじると作品自体の成立基盤が根底から崩壊するから当然だ。

だがそれゆえに、非常に不自然な印象が目立ってしまっている。
たとえば、主人公が勤務する病院の院長が太平洋戦争で細菌部隊に関与していたとの設定。現実世界ならこの人物はどう考えても80歳を超えていよう。
そんな人物が、統合失調症など新概念の知識や過剰とも思える気配りを要求される近年のメンタル系医療を、何の違和感も疑問も抱かずに理解し、取り組めるものだろうか。

揚げ足を取るつもりなど毛頭ない。小説世界の話の細部など気にする必要もないかもしれない。
だがこの小説は、精神病患者(敢えてこう表現することをお許しいただきたい)とその主治医の恋愛という、発表当時の時代感覚ではタブーとすら思われたテーマに果敢に挑戦し、テレビドラマ化もされたほど反響を呼んだ作品である。
時代が移ろい、何よりも人権感情が様変わりしてしまった今の時代に、語彙をちょこちょこ書き換えるだけのような小手先の姑息な手段など通用するまい。むしろ、使用語彙が変化したために、疾患を抱えるヒロインの表現が単調になり、印象が薄れてしまった。明らかな逆効果だろう。

五木氏ほどの作家なら、21世紀の現在ならではの切り口で捉え直すことも決して不可能ではないテーマだと思うが。
昨今のブームに氏本人が乗せられてしまった故の勇み足としか見えない。残念。

私訳 歎異抄 私訳 歎異抄
五木 寛之   東京書籍   東京書籍  
なぜ私「訳」なのか
歎異抄ほど好き勝手に蹂躙されているテクストもないんじゃないか。
教行信証ほど読み解くのに苦労もしないし、原文と適度な注釈があればいいじゃないの。
二三度音読すれば意味も通じてくる。
逆に現代語に直せば意味が逃げる。
自分独自の解釈を披瀝したいのなら、私「註」歎異抄とでもすればよい。
日本思想史のなかで、一二とされる和文の名文を、「訳」するという発想が理解できない。


親鸞の時代と現代との共通性。
不思議に思いましたのは、聖書、論語、仏教の経典などお弟子さんが師の言葉を残す為に文字に現したものです。歎異抄も同じように、親鸞上人の教えを唯円というお弟子さんが綴ったもので、今に至るまで親鸞の思想を伝える役割を果たしております。それをさらに五木さんが現代人にも通じる訳を与え、私にもその一端が理解できるようになりました。最近、仏教に関する書物を目にすることが多いのですが、親鸞の生きた時代は飢饉から飢饉という非常に世情厳しい時代であったようです。そこが現代の日本と似通っており、民衆の求める安心が仏教の教えに見つけられるのではないかと思います。ある時期弾圧を受けながらも、易行の念仏を説いてゆく親鸞の圧倒的な精神の力を感じました。五木さんの私訳、原典、五味文彦(放送大学教授)氏の解説「親鸞とその時代」の構成になっており、五味氏の解説が歎異抄を読み解くのに助けになりました。
念仏
唯円聖人は、親鸞聖人の愛弟子であり、世相を
嘆かれて、歎異抄をかいた。
これは、お経であり、「いわんや悪人をや」
とかかれたのは、仏の慈悲である。
親鸞聖人は、法然聖人のでしであり、
ブッダは、ヒンドゥー教では、神の生まれ変わりである。

仏教に関する基礎知識がないとつらいかもです。
私がまずこの本を手に取ったのは、五木寛之という作家と、仏教の内容に興味を持ったからです。全部は読んでませんが、15ページほど立ち読みしてのレビューになります。

内容ですが、タイトルのとおり歎異抄について五木さんが解説してくれるという形式ではなく、歎異抄の訳になります。そしてその内容は仏教の教えに関するものなので、ある程度の仏教の基本的な知識がないとこの本の面白さは、半分以下になってしまうのではないでしょうか?

よっていきなりこの本を手に取るのではなく、他の本などで仏教的世界観の概要をつかんでおかれれてその上で興味を持ったのならより楽しみめる本だと思います。

主な内容は、「他力本願」です。
現代に生きる『歎異抄』

 親鸞(1173‾1262)に関しては、たとえば「しぶとくしたたかに『非僧非俗』の一生を貫き、年をとるほど円熟した思想を展開した」(末木文美士『日本仏教史』新潮文庫)人物との評価も可能であるが、同時に、浄土教の三大経典の一つである『大無量寿経』の「大胆きわまる乾坤一擲の読み替え」(大峯顯『君自身に還れ』本願寺出版社)などを行った、日本史上希代の宗教者とも言い得るのではなかろうか。

 『歎異抄』は、その親鸞の「日常、若い門弟との間に交わされた、何の飾り気もない率直な対話」(『歎異抄』本願寺出版社刊)などを詳記したもので、親鸞の直弟・唯円房(ゆいえんぼう,1222‾1289頃)がその筆者といわれている。実際、「『歎異抄』はいかにも人間くさく」、「その深い人間洞察に離れがたい魅力」(末木前掲書)があり、「仏教書のロングセラー」(同)でもある。

 この五木寛之氏の『私訳歎異抄』は、無論、氏の「主観的な現代語訳」であり、従って氏が述べるごとく「唯円が歎く親鸞思想からの逸脱かもしれない」(本書まえがき)。だが、親鸞が『大無量寿経』というテキストを大胆に読み替えたと同様、親鸞思想を説く『歎異抄』を、五木氏が「『私』」にこだわった」(同)大胆な現代語訳を行っても、私は全く違和感を覚えない。大峯氏も語るように「テキストには常に解釈が必要」(大峯前掲書)だからだ。

 なお、五木氏の仏教に対する思いについては、「五木寛之こころの新書」シリーズ(講談社刊)の『仏教のこころ』や『自力と他力』などを併読されると、一層の理解が深まると考える。


自力と他力 (五木寛之こころの新書) 自力と他力 (五木寛之こころの新書)
五木 寛之   講談社   講談社  
「仏教のこころ」の核心を縷述

 (蓮如)…他力の信心はのう、人の煩悩を断てとは言わぬ。煩悩あればこそ信ずれば救いあり、と教える。泥中にあれば花咲く蓮華かな。わしがさっき、われを忘れて取り乱したのは、このわしが人一倍、煩悩ふかき凡夫ゆえじゃ。さればこそますます阿弥陀如来をおたのみする心もいや増すばかり…(五木寛之『蓮如‐われ深き淵より‐』中公文庫、1998)

 本書は「五木寛之こころの新書」シリーズの第12巻目にあたり、五木氏が謳う「仏教のこころ」の核心を縷述していると言ってよいだろう。具体的には「浄土教の思想としての『他力』を、さらに大きく世間に解放したい」(本文)という氏の存意が当書を貫いており、無論、一般的に誤用されている「他力本願」とは意味合いを異にする。

 氏にとって「他力」とは「自力」とダイコトミーの関係ではない。それは「自力を呼び覚まし、育ててくれるもの」であり、「自力をひっくるめて包んでいく大きなもの」(同)なのだ。五木流に表現すれば、「他力は自力の母」なのである。そして、「他力」とは安易な希望から生まれる思想ではなく、真の絶望から発する思想でもあるのだ。

 最後に、この本で私が特に深く印象に残ったのは「悲しみを癒すものは、悲しみである」というエッセーである。それは、苦しく辛い抗ガン治療を受けている若い女性にまつわる話であり、そこで氏は、「悲しみ」に向き合えるものは「悲しみ(悲泣)」、と述べている。この「悲泣」ということについて、私はズシリと重いものを感じざるを得なかった。

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