夜叉ヶ池・天守物語 (岩波文庫) 夜叉ヶ池・天守物語 (岩波文庫)
泉 鏡花   岩波書店   岩波書店  
お雪さんとお富さんの謎
女は強しw
妖怪は強しw
約定を違え理不尽で自己中な人間共を圧倒的な力でお仕置きする。
この爽快感。
命の為に恋は捨てない!!この潔さ!!
こんな恋をしてみたいものである。

さて夜叉が池のお雪さん、両親は龍神と言いながら晃の話では
日照りの生贄の乙女であったりする、この謎の存在。
記憶が自己修整されているのか?
天守物語のお富さんは遠く離れた夜叉が池のお雪さんと友達みたいだしw
不思議とリンクしている幻想戯曲。
謎が謎を呼びます。
玉三郎
『天守物語』『夜叉ヶ池』ともに坂東玉三郎が演じています。戯曲なのですから、
演じられねば話になりません。そして、舞台で観たのは『夜叉ヶ池』でした。
同時に『海神別荘』も演じられたのを二回観ましたが、泉鏡花の台詞の美しさを
稀代の女形が演ずることの素晴らしさよ。映画も先の二作はありますね。
でも、DVDになっていないのですよ。これは甚だ残念であるし、国の宝なのですから
ぜひ自宅でも観たいと思います。
ともあれ、『高野聖』『眉かくしの霊』という小説で味わう鏡花とは別の趣が楽しめて
鏡花のスケールの大きさ(という言葉はこの方には似合わないけれども)
を味わってください。で、DVD,ぜひお願いします。
明治期に江戸情緒で描かれた男女共生と市民社会法
7月歌舞伎の鏡花4作品『夜叉ヶ池』『海神別荘』『山吹』『天守物語』の上演(坂東玉三郎演出・主演)を見た。私は長く鏡花を誤解していた。 美文、江戸情緒、妖怪変化の幻想性、男権的女性の客体化、という三島や澁澤龍彦系の解釈に長く安住していたのだ。作品は美しい異界と醜い人間界との対立のように描かれているが、違う。舞台を見、改めて本を読み返してみて解ったが、ここには対等な男女が愛し合う男女共生の価値観と、高圧的な家父長的男権主義の価値観との対立が描かれている。そして異界とは原始アニミズムである。異界の力を借りるときには、男女共生の価値観が近松心中物のノリで勝利するが(夜叉ヶ池・天守物語)、人間界のみの道理に支配されると、家父長的男権主義が勝利する(山吹)。『夜叉ヶ池』の萩原晃や『天守物語』の姫川図書之助は夢幻世界の住人即ち男女共生社会の一員になれるが、『山吹』の島津正は「仕事がある」と言って断じて共生社会に組しないのだ。殊、『夜叉ヶ池』のラストは圧巻。晃に「人は心のままに活きねばならない」などと言わせて個人主義・自由主義を語る。俗物代議士に「いやしくも国のためには、妻子を刺殺して、戦争にでるというが、男児たるものの本分じゃ。」と言わせ、いざ死ねと迫られた途端逃げる姿を描いて、全体主義を揶揄する。ここまでくると、フランス革命以来の市民社会法の理念が語られてて、鏡花って、女性蔑視をしない分、中江兆民を凌駕するんじゃないの?!とまで思わせる。・・・と、これが深読みかどうかは、この本買って読んで考えて頂きたい。
分かりやく、読みやすいストーリー
2作品ともに「人間世界」と「妖怪世界」の対立。選ばれた人間が最後は妖怪世界に行く。
押井守さん、いかがでしょうか?
『海神別荘』の「乙姫様が御工夫を遊ばしました」百科事典。海底にある「此の国の微妙なる光に展(ひら)きますると」白いページの上に、森羅万象が極彩色で描きだされる。『夜叉ヶ池』の白雪の衣裳。「雪なす羅(うすもの)、水色の地に紅の焔を染めたる襲衣、黒漆に銀泥、鱗の帯」。鏡花の天才は、舞台でも実写の映画でも不可能なイメージを、華麗な詞章に封印した。現在の3DCGのアニメによって、それは初めて再現可能となったのではないか?若き才能の挑戦に期待!押井守さん如何?

歌行燈・高野聖 (新潮文庫) 歌行燈・高野聖 (新潮文庫)
泉 鏡花   新潮社   新潮社  
ハイ・ファイドリティ
作り手の情念やイメージを受け手の心に再現させるのがアートだ。媒体、ジャンルが違っても、この原則はかわらない。多少のずれも味のうちだが、どこまで忠実に伝えるかが基本。このファイドリティの追求が芸であり、到達点が高ければ、よい芸だといってよい。

桑名を舞台に能役者の伯父、甥の運命的再会を描いた「歌行燈」は、そのお手本だ。中短編にもかかわらず物語を交錯させる手法は、ほどよく複雑。そのなかで、心理のあやはもちろん、絵と音までもが精巧によみがえる。繊細な描写による構成の妙。驚くほどの再現性だ。映像的な文学は数多いが、これはそれらをはるかにしのぐ。本家の映画といえども、字幕か何かで心理描写をおぎなわない限り、この濃密さをこえるのは難しいだろう。

個々のパーツを設計図通りに組みたてれば、これほどの再現性が得られるのだ。その見本がここにある。アートとは科学であり、著者はそれを熟知していたようだ。天才とは畢竟それをいうのだろう。「歌行燈」は文学としてだけでなく、芸事の教科書としても一級品。主人公自体、芸の神髄にふれた人というのも心憎い。読みとくたび得るものがあるこの小説は、芸の術をきわめたいアーチスト、クリエーターには必修だ。

一般に泉鏡花は耽美的な幻想文学の旗手として知られている。そういうことには詳しくないので、以上、独自の考えを述べたが、専門の研究者やファンの不興を買うかも知れない。現に以前、鏡花研究セミナーで同様の発言をしたら、まわりから白い目で見られた。見当違いの門外漢が何をいうか、との雰囲気になり、いたたまれなかった。的はずれなことをいっているつもりはないのだが、一体どうなのだろう。

今回は代表作「歌行燈」について特記したが、この本には「歌行燈」「高野聖」の表題作ほか、「女客」「国貞えがく」「売色鴨南蛮」の短編も収録されている。

聖性と恐怖とエロス、そしてイニシエーション。
聖性と恐怖とエロス、そしてイニシエーション。これらはホラー小説に欠かせない要素であるが、「高野聖」にはそれらが見事に揃っている。
深山の奥に住む謎の美女と若い僧のストーリーは、その設定の見事さにより、読者の好奇心を刺激する。怖いものみたさを喚起する。
いかにも怪しいシチュエーションは、「これは事件が起こる」と予感させるし、それは性的な誘惑を伴うはずであると確信しながら、ページをめくる。
泉鏡花はすごいストーリーテラーである。
読者はこの女は怪しいと感じながら、一方で惹かれていくのである。(読者は動物に変えられる男たちと一緒だ。)
クライマックスは谷底での女の誘惑であるが、そこでは恐怖とエロスが渾然一体になり、最後に聖性(信仰)が勝利する。
エンターテイメントとしての完成度は相当なものだと思う。日本文学最高の幻想小説だ。
『高野聖』の人気の秘密
名作と評される『高野聖』の広範な人気の秘密は、どこにあるのでしょうか?題名は、高野山で修業した聖(ひじり)。浄土宗の修験僧。諸国を遍歴し法話を語ることで、布教をするのが役目。その人が雪の宿で夜半に、若者に語る「山の高さも谷の深さも底の知れない一軒家の婦人(おんな)」の物語。水量の豊富な谷間での、ともに裸体での沐浴。暑い夏の日の涼しさ。背中に女の吐息のぬくもり。花のような汗の香。皮膚感覚の描写の鮮烈。当今の露骨なポルノ小説の達しえぬ、若さの懊悩と歓喜の対照。その妙にあるのでは?
言葉のもつ呪術性
泉鏡花も言葉のもつ呪術性、言葉に霊が宿る。ということを信じる作家であった、ということを知り興味をもった。彼は新聞の切れ端でも、ちょっとでも文字の書いてあるものは、おろそかに粗末にしなかったらしい。
泉鏡花の小説は、できるなら旧仮名遣いの原文に近い形で読むのが、本当なのだと思う。私は苦手なので、現代の仮名遣いと照らし合わせないと読めないのですが、言葉ひとつにルピまでふってこだわる泉鏡花の作品は、そうしないと本当の意味で、彼の言霊を味わうことはできないのかもしれない。そして耳で聞いても美しいけれど自分の目で文字を見ないとわからないところがある。

例えば高野聖の中で、(これも本当は旧仮名使い。でもフォントが無いのでここでは現代語)
「あなたはほんとうにおやさしい」
泉鏡花は「本当」を「真個」と書いて、「ほんとう」と読ませる。
私は勝手に、これはまこと、誠、真、により近い本当の造語なのかしら等と思わされるのですが。
色々映像化もされていますけれども。まずは、やはり活字で読んでこその鏡花なのではないかと思います。
無題
旅の男が深い山奥で一人の美女と出会う。あまりにも妖艶なその女は幾多の男達を誘い獣に変えてしまう妖女なのであった。舞台の幻想性もさることながら、泉鏡花の書く文章そのものから漂ってくる美的な幻想性こそこの作品の特筆すべき点であり、また多くの読者に一目置かれている所以であろう。

蛇足だが、多分に男尊女卑的な思考の持ち主であったフロイトであるが、実際には男とは滑稽な下等動物であるともいえるのではないだろうか。事実フロイトはこう述べている「完全な性的な満足の後の状態は死と似ているのであり、下等動物にとって生殖行為は死を意味する」


外科室・海城発電 他5篇 (岩波文庫) 外科室・海城発電 他5篇 (岩波文庫)
泉 鏡花   岩波書店   岩波書店  
「でも、貴下は、貴下は、私を知りますまい!」
◆「外科室」

  一度目をかわしただけで会話すらなかった男性への想いを心中に持ち続け、
  麻酔なしの手術という異常な行動に走った伯爵夫人は、いかにも「観念的」。

  しかし、虚構と現実の区別が曖昧となり、フィクションのほうに価値を見出すように
  なった現代から見ると、決してあり得ない、非現実的な存在とは言い切れません。

  彼女の愛は、妄想と紙一重だったわけですが、それゆえに美しく純粋なのです。


  本作は、愛の発生とその成就の瞬間を鮮烈なまでの美しさで定着させた作品です。
当時のメディア検閲は如何?
 「外科室」については、同名の映画がすっかりメジャーになったために内容については疾くご承知であろう。日本の純愛物語の最初期に属する話である。
 むしろ、タイトルにもなっている「海城発電」に着目したい。これは題だけではいったい何のことやらまったくわからないが、海城は地名であり、そこからの電報についての小説である。これはれっきとした反戦・反差別小説だ。いくら欧州の文学の影響が入ってきていたといっても、この時期にこのような内容の文学が書かれたということにまず驚きを覚える。さらにそれが発禁にならなかったこともびっくりさせられる。
 伝奇文学としての鏡花というイメージのみをお持ちの方には一読をお勧めしたいと思う。
純愛小説の北斗
私たちは、死をも恐れない男女の愛を、もっとも美しいものと考えて来た。純愛小説や映画のブームの喧騒が去った後で、貴女に「外科室」という短いお話と、静かに出会ってほしい。玉三郎が、映画化してくれたから、道はついているだろう。金剛石のような永久不変の愛の輝きを歌った詩が、ここにある。鏡花が、大好きになってくれるだろう。彼のすべての作品は、この輝きを核として生まれたのだから。極端?非常識?観念的?北斗星は、つねに愛の極北に光っている。
美の世界
最初にこの作品の存在を知ったのは実は映画の宣伝でした。
それまでは「泉鏡花」という作家の作品を読もうと思ったことも無かったのです。

映画のキャッチコピーが頭にずっと残っていて、気になってしょうがなかったのです。それは「ねむり薬は、うわごとを言うと申すから、私はそれがこわくってなりません」だったと思います。

この作品は、辻褄だとか現実感だとかそんなものは一切考慮せずに、その場の(外科室内の)情景の美しさを堪能していただきたいのです。

わたしはなんといってもこの「外科室」が好きですが、「夜行巡査」「琵琶伝」「海城発電」も心に響きました。

男女の愛は美しいものですが、偲ぶ愛はさらに美しく、ついには破滅へと導くような愛はさらにさらに美しい。成就しないからこその美なのです。

映画は、後からビデオで見ました。私はたいへん良かったと思います。余計なシーンもありましたが、ほぼ原作に忠実に作ってありました。

ただ、難をいうなら貴船伯爵夫人はミスキャストだったように思います。高峰外科部長は非常によかったですけれども。

リクツに合わない話は我慢ならない、という方にはこの本をおすすめしません。
ただ、美を堪能したい方はぜひ読んでみてください。
言葉イラズ
泉鏡花の初期短篇作品集です。「春昼・春昼後刻」など後年の傑作へと受け継がれていく鏡花世界の原点である愛と死を主題とした美しい短篇が集められています。初期作品という事で物語の展開が極端で無理一杯ですが、そんな事は全然問題ではありません。寧ろ物語の進行が荒っぽい為に、いつもですと乳白色の霧やら白銀色の月の光やら綿の絨毯の様な春の雲が何重にも覆い被さって輪郭がぼんやりとしていた物語の深部が、ちらりちらりと読者にも垣間見えてある意味官能的でさえあります。色々と書き記すべきなのかもしれませんが、鏡花についてあれこれ評論したり解説したりするのは、月見草の咲く池端を土足で踏み荒らすかの如くひどく無粋な事だと心得ていますし、鏡花を読む=鏡花の世界に入る・鏡花を読する=鏡花の世界から帰ってくるという事なので帰還した今となっては何も書きようがありません。ただただ印象深い台詞や一節が川魚の様に頭の中をうろうろと泳いでいます。短篇「外科室」で外科医が愛と死の極限で発する一言“わすれません。”が、全てであり永遠に感じられてきっといつまでも忘れられないのです。


鏡花短篇集 (岩波文庫)
泉 鏡花   岩波書店   岩波書店   川村 二郎  
初めての鏡花作品
「竜潭譚」をはじめて読んだときの、脳内イメージは未だにはっきり憶えています。
内容としてはよく理解できていなかったのですが、坂道の両側に、ぶわっ と、
咲き乱れるツツジのイメージが、視て来たかのようにありありと。。。
「薬草取」のラストもまた然り。

「二、三羽―十二、三羽」「雛がたり」はなんだかエッセーのような語り口で、でもやっぱり不思議な終わり方。

やっぱり細かい内容は解らないことが多いのだけど、うたた寝のときに視る夢のような、とろりとした味がします。

鏡花初心者に、ぜひお勧めします!
鏡花の文章
赤ちゃんのすずめに餌を与える親の描写。「チイチイと、ありッたけ嘴(くちばし)を赤く開けて、クリスマスに貰ったマントのように小羽を動かし、胸毛をふよふよと揺(ゆる)がせて、こう仰向(あおむ)いて強請(ねだ)ると、あいよ、と言った顔色(かおつき)で、チチッ、チチッと幾度(いくたび)も、お飯粒(まんまつぶ)を嘴から含めて遣(や)る」(92ページ)。この文章が、不思議な「すずめのお宿」に、いつのまにか読者を、いざなってくれます。「ふよふよ」のかわいらしさ。若い女性の方に。


草迷宮 (岩波文庫) 草迷宮 (岩波文庫)
泉 鏡花   岩波書店   岩波書店  
最高の日本語美
草迷宮は、私が鏡花の文章に心酔する契機となった作品である。脳髄を揺さぶるような前衛性と、珠玉の言葉の美しさに
彩られた鏡花の文章は、かつて日本語が到達したもっとも崇高な美学の結晶といっても過言ではなかろう。

鏡花の文章は決して一般受けするものではない。しかし、だからこそ多くの人に薦めていこうと、そう思わせる作品である。
香りと匂い
 寺山修司の映画「草迷宮」を観て 感嘆して 原作を手に取った。因みに映画「草迷宮」は 寺山の映画作品の中では最高傑作である。

 原作も映画に負けず劣らず 幻想的である。鏡花独自の美文が繰り広げる世界は ケレンに満ちている。この世界には 全く馴染めない方も多いと思う。一方 もう大好きで どっぷりと漬かってしまう方もかなりおられるとも思う。

 鏡花の映画化というと 鈴木清順の「陽炎座」が直ぐ思われる。清順と鏡花とは絶妙な取り合わせだが 寺山との相性も極めて良いと思う。寺山自身も臭みに満ちた映画作家である。鏡花の臭みとコラボした結果実に香しい映画が出来上がった。勿論「匂い」は強い。匂いの強い食べ物がしばしば非情に美味しいのは チーズや納豆だけではない。


明治のエンターテイメントホラー
異界が開けているのは、山深い森の中か、丘の先にある草原か。
「草迷宮」は若者の幻想を描いているのだと思います。親への憧憬とセクシャルな女。幻想世界に混沌と存在しています。男性の幻想を上手に小説に仕立てています。
私は「草迷宮」の三浦半島の自然の描写が好きです。武蔵野とは違う、ちょっと開放的な風景を楽しみました。その草原の一軒家が幽霊屋敷だった訳ですが、因縁話でもあり、ストーリーが冗長にならず、テンポがいいです。
もし泉鏡花が現代の作家だったら、すごいエンターテイメントホラーを書いてくれるに違いないと思います。
言霊の世界
泉鏡花の作品は、同じ時代に文学界が欧米化する中、まさに言霊とでもいうべき独特の古文体で、特にこの世の中と異界が交流する幻想文学の短編に真骨頂が発揮されたと考える。

幼い頃に聞いた手毬歌を追い求める青年がたどり着く先は妖怪入道の住む屋敷。普通ならば妖怪に殺されかねない状況下で主人公が難を逃れるモチーフにはイニシエーションの物語性を感じる。

古文体は読み慣れないと、難しいが、独特のリズムで言葉があふれだしてくる心地良さが魅力である。

寺山修司氏が映画化しており、鏡花の世界を熟覧たる映像で再現しており、こちらも鏡花ファンはビデオ必見である。
言葉の美酒
「芳(かんば)しい清らかな乳を含みながら、生まれない前(さき)に腹の中で、美しい母の胸を見るような心持(こころもち)の--唄」を求めての青年の遍歴。題名の「くさめいきゅう」の「くさ」は、草競馬や草野球の「草」。鏡花の謙遜であろう。言葉の迷宮は、母なるものへの高貴な捧げ物。巧緻にして繊細。読者を、この世とあの世の中間に拉致し、そこに宙吊にする結末の一行まで、最上等の日本語に酩酊して頂きたい。最近の日本の怪奇小説の文章の、粗製濫造に飽き足らない読者に薦めたい。手作りの吟醸酒である。


泉鏡花 [ちくま日本文学011] (ちくま日本文学) 泉鏡花 [ちくま日本文学011] (ちくま日本文学)
泉 鏡花   筑摩書房   筑摩書房  

高野聖;眉かくしの霊 (岩波文庫) 高野聖;眉かくしの霊 (岩波文庫)
泉 鏡花   岩波書店   岩波書店  
鏡花の名作
 幻想的な小説という部分だけではなく、明治政府に対して鏡花がどのような感情を抱いていたかということもこの作品の中から感じ取ることが出来ます。また『高野聖』に限ったことではありませんが、鏡花の作品には年上の美しい女性が登場することが多く、それは幼くして亡くした母親の姿を描いているようにも感じます。そんなことを念頭に置きながら読んでみると、鏡花という人物への興味も湧いてきます。

突然変異?
 日本文学史上の変異種と見なされているが、こういう伝統は江戸期にないわけでもなく、おそらく雨月物語などの影響を受けているのではと推測する。内容は伝奇・幻想文学というもので、高僧が美女の姿をした妖怪に誘惑されるが、徳高きゆえに救われる、という話だ。筋そのものはむしろ凡庸、というか、定型的なので、それを文学的にいかに描くか、というところで作者の腕が試されることになる。
 夏目漱石よりもさらに文体的には古く、読了するのに少々骨が折れるが、それが味だというものだと諦めつつ読むしかないだろう。
 たしかにこの時代、同じような特質を持った作家がいなかっただけに彼の存在は貴重であり、さらに硯友社の中でただ一人生き残ったというのもその個性のゆえであったことが納得される。
木曽旅行の後にお勧め。
耽美で名高い鏡花。
が。滝の流れに山中で見かけた美女を懸想する、って言われてもなぁ。
女性美を言葉を極めて訴えるシーンは余り響きませんでした。
「清純さと奔放さをあわせもった美女」という伝統的な美の形なんだろうけど、女性から見ると「こんな見え見えの芝居でも男はちゃんとひっかかっちゃうんだなぁ」って感じです。

2編とも舞台は木曽。この夏の木曽旅行で見た、針葉樹林の空気の冴えや、浅い土壌に張り付くように根を張った木々。近くで遠くで間断なく続く梢のこすれや川の流れ。そういったものをありありと思い出した。
しかし「高野聖」内の山蛭の降る様子を木曽行の前に読んでいたら、足が鈍ったかも。

旧仮名遣いは読み辛いが、読むスピードを抑制されるのが却って良い効果を生む。
美しい日本語
泉鏡花の代表作であり、初めて読んだ作品。
何気なく期待せずに読み始めたのですが、幻想的な文体で描かれる
女の美しさに惹きこまれて一気に読んでしまいました。


泉鏡花集 黒壁―文豪怪談傑作選 (ちくま文庫) 泉鏡花集 黒壁―文豪怪談傑作選 (ちくま文庫)
泉 鏡花   筑摩書房   筑摩書房   東 雅夫  

泉鏡花集成〈5〉 (ちくま文庫) 泉鏡花集成〈5〉 (ちくま文庫)
泉 鏡花   筑摩書房   筑摩書房   種村 季弘  

鏡花夢幻―泉鏡花/原作より (白泉社文庫) 鏡花夢幻―泉鏡花/原作より (白泉社文庫)
波津 彬子   白泉社   白泉社  
原作に忠実かつ、らしさがあります
波津さんは、和の文化への造詣も大変深い方です。
その作風には、しっとりとした何ともいえぬ落ち着きがあります。
人気シリーズの「雨柳堂夢咄」しか知らない方も、
原作の魅力を生かした作画にうっとりされることでしょう。
この一冊に描かれた「美」には、妖しさだけではなく、
純粋さ・清らかさがあります。お勧めします。
鏡花文学の理解者
金沢出身の文学者に共通する特質はなんだろうか、と考えると
幽玄、静謐、深遠、いろいろ表現できると思うのですが、それは
この北陸地方の「冬」を生活することと関係があると、私は思います。
(文学のみならず、鈴木大拙、西田幾多郎らの哲学者にも言えるかも
しれません。)

鏡花文学を頭ではなく、五感で理解できる波津先生だからこそ

なしえた、波津先生の作品のなかで群を抜いた傑作だと思います。
鏡花ファンならわかってくれる
この本で初めて波津さんに出会いました。 もともと泉鏡花が大好きなので
かなり迷いながら買ったのですが、読んでみて原作の持つ美しさや妖しさが
まったく損なわれていないのに驚きました。
一度読んでみてください。
和的な美しさが素晴らしい
 ほぼ原作に近い形でちゃんとストーリーを組み立てられている。 天守物語の妖したちも生き生きとしており、原作の持ち味を殺していない。個人的には、海神別荘の「あぁ嬉しい 早く殺して」の表情がなんとも言えず好きである。


1   |   2   |   3   |   4   |   5   |   6   |   7      »      [33]
合計件数:324  合計ページ数:33