私の好きな日本人 私の好きな日本人
石原 慎太郎   幻冬舎   幻冬舎  

人の心を動かす「名言」 (ロング新書) 人の心を動かす「名言」 (ロング新書)
石原 慎太郎   ロングセラーズ   ロングセラーズ  
まさに今の日本人が読むべき本
政治家であり文筆家である石原氏の考え方に興味をもちこの本を購読しました。結果としては、よくこの様な本を纏めてくれましたと感動したと同時に、石原氏も常日頃「志」を持ちそして考えて行動をされていることと思いました。人間は生涯を通して様々な環境で生きていかなければなりませんが、この本は、様々な環境下でも乗り越える「力」を与えてくれます。特に今、政治的・経済的・社会的難問を抱えている日本人には貴重な本です。是非一読してください。

火の島 火の島
石原 慎太郎   文藝春秋   文藝春秋  

オンリー・イエスタディ オンリー・イエスタディ
石原 慎太郎   幻冬舎   幻冬舎  
湘南ダディは読みました。
石原さんが出合った人生の素晴らしい達人達の生き様を紹介するお薦めのエッセイ。ここに登場する人々のいかにも男らしい、まさに日本男子と評することのできる方たちと石原さんとの折々の交歓が独特の硬質で美しい文章で活写されている作品です。(因みに女性は一人も登場しません)石原さんは後書きでこの本はいわば私蔵の美術館のようなものだと結んでおられますが、随分贅沢なめぐり合いに恵まれたのだなと羨ましく思います。今ではすっかり強面で鳴らしておられますが、このエッセイを読みますと石原さんはこれらの先達方に大変礼儀正しく対処されていることが伺われ、叱られそうですが湘南のお育ちの良いお坊ちゃまであったこともこれらの方々から石原さんが可愛がられた所以かなとも感じたものでした。


石原慎太郎思い出話。
本書は「ゲーテ」の連載に加筆・修正を施したもので全十八章からなります。

著者があとがきで「この本はいわば私蔵の美術館のようなものだ」と語るように、本書は著者が人生において関わってきた人物の豪胆・豪快なエピソードを綴っています。

解りやすく副題をつけるなら「石原慎太郎思い出話」でしょうか。

著者はおそらくそういった癖のある魅力的な人物を紹介することで現代の若者に発破をかけているのではないでしょうか。

「おまえらもっとでかいことやってみろよ」と。

政治的な話はほとんどなく、数々の人物との思い出話に終始していますが、本当に豪快なエピソードばかりです。

しかし万人にお勧めできる本ではないと思いました。
“ほんの昨日のこと”、にしてはスゴイですね・・・
都知事として政治の真只中にいる著者。
「・・私は物書きだから、たとえ政治の世界から離れても物を書くという仕事は一生可能だし
日々仕事の甲斐もあるはず・・」という書き出しで紹介する最初の人物が、
“政治”と“仕事”というキーワードを象徴するにふさわしいひとりである海部八郎氏、
いかにも石原氏らしいくひねりが効いた滑り出しだ。

石原氏に鮮烈な記憶や思い出を残していった人物達。それは、政治、経済、文化、マスコミなど様々な分野に亘る。
氏の独特のユーモアを織り込みながら、ムダのない語り口で綴られていく内容は、驚きに富んでいる。
また、カラーを含めて挿入された多くの写真が、それぞれの時代の香りをうまく伝えている。
個人的には、やはり青嵐会や田中角栄氏などについての記述が、さながら短編小説を読むようで面白かった。
一方、趣味のヨットに絡む内容では、まるで10代の少年のように嬉々として数々の冒険譚を語っていく。

なにせ金のかかるヨットにまつわる話題が多いこともあり、スノッブさを感じる箇所は多い。
しかし、懐古趣味でも成功体験を並べ立てたものでもない本書は、痛快であり楽しめるものに仕上がっている。
そして、「あとがき」にあるように本書は「私蔵の美術館」と呼ぶに相応しい出来栄えであるが、
それにとどまらず、個性的であることや未知の世界に飛び込む勇気が今こそ必要なのだ、と我々に伝えようとしているように思える。
著者のノスタルジーを満喫
著者の人生の断片を彩った個性人たちが、美術館に並べられた名画たち
さながらに著わされています。

個性人とは、誰に気兼ねすることなく自身の人生を情念・感性に任せて
往来する人々のこと。

そんな清々しい人々が少なくなった今だからこそ、
ノスタルジーに浸るのですね。

太陽の季節 (新潮文庫) 太陽の季節 (新潮文庫)
石原 慎太郎   新潮社   新潮社  
50年近く前にここまで書けたのは立派
都知事のファンではありませんので、念のため。
しかし、無軌道な若者を爽快に描いていると思います。
まだまだ倫理観や古い道徳観に縛られた人が大勢いた当時に、ここまでのことを
書いたのはさすがと思いました。

はっきりいって
単なる淫蕩の茶番劇です。
都知事を務める人が書いた本とは思えないです。
石原裕次郎のコネがなければ、世の中に出回るような価値のない本。
時代性に頼った部分が大きい
都知事再選記念(そのことを喜んじゃいませんが)で読んでみました。

石原氏のデビュー作にして芥川賞受賞作。
どんだけすごいのかと思って期待して読みましたが・・・。

うーん。

当時(1955年)の社会的・文学的状況に対して、非常に革新的で様々な問題を提示した作品であることは確かなようです。
単行本はベストセラーとなり、映画化、そして「太陽族」と言う言葉も生まれ、日本中が「太陽の季節」に振り回されたことも事実です。
ある種の社会現象となった作品であると言ってよいでしょう。

しかしそうした時代背景を抜きにして、一文学として本作品を読んだときーー現代を生きる私たちにはこうした読み方しかできないーーそこに本質的な文学としての力を感じるかというと、これが微妙なんですね。

吉田健一氏が本作品を評して

「これは、体の均斉は取れていて、顔は救い難い痴呆状態を現わした、この頃よく街で見掛ける一群の青年の言行を胸が悪くなるまでに克明に写した作品である」

と述べていますが、まさにそういう青年(=石原慎太郎)が何も考えずに自らの筆力に任せてただひたすら書きなぐったような作品にしか思えないのです。

外側へ向けてのエネルギーは非常に大きいのだけれど、作品の内側へ向けての意識が薄過ぎる、というのが本書を読んでの一番の印象です。
なんだか都知事としての石原氏の印象そのものですね(笑)
鮮烈……だけど?
 芥川賞の選考も勤めている石原先生。この短編集に含まれている『太陽の季節』でその時代の文学に大旋風を巻き起こしたのは確かです。
 全編を通してちょっと社会から疎外された所にいる青年達を描いています。殴りあったり、付き合っている女を突き放したり、賭け事をしたり……。そんな中にも鮮烈な印象を与える情景や恋愛があって、ハッとさせられたりします。
 が、当時としてはそのような視点の文章は斬新だったかも知れませんが、今読んでみてると、大して驚きも、感動も少ないような気がします。人によっては、『酒を飲んで暴れているだけ』という様に見られかねません。文体も前後に頻繁に飛ぶので途中こんがらがったりします。時制が統一されていないというか……。
 青春小説にあまり興味がないとなると、あまり読むのはお勧めできません。まあ、ある意味では記念碑的作品ではあるのですが。
本当は
発表当時大きな話題を呼んだ作品。著者の二つめの作品にあたります。アンチモラルの作品で色々と考えさせられます。ただこの作品から現在の石原氏を考えようとするのには無理があります。少なくとも本書執筆当時の考えとは正反対になっているとみえるかもしれません。その点でいって石原氏は厳密にいって保守なのかといわれればおそらく違います。小泉氏や麻生氏、小沢氏、西村氏は間違いなく保守ですし、共同体や道徳を重視しますが、石原氏の場合は個人的な好き嫌いだといえるでしょう。自分の腹心の切り捨て方はおそらく前記の人には出来ませんが石原氏にはできます。この小説で描かれるようなやりかたでもって。ですから本当は好悪好嫌しか石原氏にはないともいえます。作家として寿命をまっとうするならそれも可でありますが・・

弟 (幻冬舎文庫) 弟 (幻冬舎文庫)
石原 慎太郎   幻冬舎   幻冬舎  
秀逸の人間愛
僕は裕次郎さんの狂った果実から大の裕次郎ファン

この本を読むと ご両親、兄弟愛、強い絆 これは半端なものではない 慎太郎さん 裕次郎さんの魂は永遠です もっともっと長生きして裕次郎さんのことやそれ以上を語って下さい お願いします。有り難うございます。涙が出てくる秀逸の一作です。
兄弟について僕も考えた・・・
昭和が生んだ時代の寵児、石原兄弟のストーリー。
まさしく時代が必要とし誕生させたのは間違いない。
幼少時代、少年期、青年期、壮年期を通じた、兄弟しか分からぬ事件・事象を
興味深く率直に語っているのは評価できるし面白かった。
兄弟というのはまさしく血の繋がりを意識せざる関係だが、
本書はまさしくその血の繋がりを考えさせられる佳作だと思う。

螺旋状のように絡み合った兄弟の人生を想う・・・
 螺旋状に重なり合う人生を、強い絆を持って共に歩んできた石原慎太郎さんと裕次郎さん。その歩みを辿りながら、鮮やかに蘇ってくる「昭和」という時代。僕が読んだことのある慎太郎さんの小説の中では一番面白かったです。
 特に「少年期」「海へ」「放蕩の季節」と続く、二人が社会に登場する前のストーリーには惹かれました。両氏の人生はこの時期にプログラミングされていたのではないかと思わせる挿話の数々は実に活き活きしています。
 それだけに裕次郎さんの後半生を描いた「血族」「闘病」「虹」といった章は、読み進めるのが少々辛くなりました。それは、時代の寵児故に背負わねばならなかった重い宿命だったのでしょうか。
 日本の芸能人の生涯を題材とした小説としては、中上健次さんの『天の歌 小説・都はるみ』と共に、お勧めしたい作品です。
読み応えあります
石原兄弟の思い出が兄の立場で綴られています。兄弟とも、両親から受け継いだ才能、見栄え、運動能力などいろんな意味でのDNAも優れていて、それが自信へ繋がっています。父は早く亡くなったとはいえ日本郵船の幹部社員で子供に対して若いうちからある種の投資を行っていて、兄弟とも早熟に育つ。青春時代が戦後まもなくのころで兄は家長意識がありますが、弟は放埓。でも、若いときの経験が兄弟ともに肥やしとなって羽ばたく。海、ヨット、映画、マチスモ(macho)・・・への愛着もいいし、また、血は水よりも濃く兄弟の絆がよく表現されています。二人とも神様が丁寧に造ったに違いありません、それに著者は十分気づいていないので、たまに舌禍をまねくことが。
慎太郎と裕次郎。
慎太郎。裕次郎。二人とも父親の原潔氏に多大なる影響を受けたのだろう。何事にも慎重に、気真面目な長男。豪快に大胆な性格な裕次郎。慎太郎なしでは、裕次郎のサクセスストーリーは無かったし、裕次郎なしでも慎太郎のサクセスストーりーは無かったと思います。兄弟のかたい「絆」がこの本を呼んで感じ取れる。

いま魂の教育 いま魂の教育
石原 慎太郎   光文社   光文社  
小説家?
ひとつのセンテンスでも「です、ます」調と「だ、である」が混在し、はなはだ理解し難く、それが同意すべき主張であってもなにやら分裂症気味なものとして感じさせられる。我が子にはこのような誤解を生むような表現を避けるようしっかり教育する事にしよう。それともこれも「表現の個性」?
価値ある1冊
近所同士が1つのコミュニティーとして他の家庭の子供も同様に誉めたり叱ったりしていた時代には、本書に書かれてある事は普通に行われていた事でしょう。核家族化や父権と母権の失墜により、今の日本の教育は骨抜きになってしまいました。本書に書かれてある事は、どれもあたりまえの事なのですが、それさえも今の時代には通用しなくなっています。

本書を読んでもいないようなのに、感情的に本書を中傷するレビューが出ること自体、本書の存在が重要で核心をついているということでしょう。そういう輩には本書は都合が悪いのでしょう。そういう連中をあぶり出してしまう点でも価値ある1冊です。

子供を持つ全ての親に読んで貰いたい良書です。
価値ある1冊
近所同士が1つのコミュニティーとして他の家庭の子供も同様に誉めたり叱ったりしていた時代には、本書に書かれてある事は普通に行われていた事でしょう。核家族化や父権と母権の失墜により、今の日本の教育は骨抜きになってしまいました。本書に書かれてある事は、どれもあたりまえの事なのですが、それさえも今の時代には通用しなくなっています。

本書を読んでもいないようなのに、感情的に本書を中傷するレビューが出ること自体、本書の存在が重要で核心をついているということでしょう。そういう輩には本書は都合が悪いのでしょう。そういう連中をあぶり出してしまう点でも価値ある1冊です。

子供を持つ全ての親に読んで貰いたい良書です。
・・・
☆0個にしたい。
正直呆れて声も出ない。
教育のバイブル
目次を見てもわかる。一体、本書のどこに議論の余地があるだろうか。本書に書かれてある事はいずれも当たり前の事ばかりだが、それさえも現代人はできていない。物欲に囚われ戦後生き抜いてきた日本人は「魂」という大きなものを失ってしまった。今の日本を救うのは、「魂」の教育なのだ。そしてそれができるのは他でもない「親」自身である。

日本が世界の大国に成長したのは奇跡などではなく、世界一の精神大国であったが故の必然なのだ。しかしその精神すら、見るも無惨なまでに堕落してしまっている。

日本においては、急激な四季の変化が、もののあわれとか無常観を培ってきた。子供に「散る花をいとおしむ心」を教える事などの発想も、実は日本の本質を考え抜いた石原氏独特の提言である。

私は、本書が日本人の子供の教育のバイブルになりうるのではないかとまで思い、同時に石原氏がいかに深い洞察力と感性の持ち主であるかを痛感する。それを鑑みるにつれ、作家としてのみならず、これらの洞察力と感性に培われた政治家として活躍する石原氏を批判する外国人と一部の日本人が、いかに狭い心の持ち主であるかであるかも痛感するのである。

私は本書を子供の教育のバイブルとしている。そして嵐の中を裸足で子供と歩み、野山の静寂さの中で「魂」の大切さを語っている。
親として、将来の日本を担う子供達を厳しく大切に育て上げる事は人間として最低限の義務ではないか。


生きる自信 ―健康の秘密― 生きる自信 ―健康の秘密―
石原 慎太郎   海竜社   海竜社  
健康あっての大活躍
知事と作家の二束のわらじを履きながら多彩な趣味も持つ都知事の若々しさの秘密に迫る。とは言え、内容は薄め、まとめ方が不味いのか医師との対話形式が不味かったのか残念な一冊。しかしそこに目をつぶれば、民間療法を上手く活用しながら、特別なトレーニングに頼らない身近な活動には私達も上手く取り入れられることばかりなので使いようによっては有用なものになってます。やはりこれだけの人材を都知事に縛りつけ拘束しているのだから、多少の無駄遣いがクローズアップされる都政はまだ贅沢と言える。お金が必要な石原ではないのだからまさにボランティアの都知事。本とは関係ないですが。
こんなのハードカバーにするか、普通?
健康について書かれた本。

なんとも散漫な印象です。
おそらく、著者へのインタビューや、対談、過去の雑誌記事、等を、ゴーストライターがまとめたものではないか、と思います。
健康オタクの老人が、とりとめもなく健康自慢をしているのを、無理やり聞かされているような苦痛があります。
もちろん、中には、自分にとって役立つような情報もありました。
例えば、話には聞いていた野口晴哉のこと。
ぜひとも、著作を買ってみなくては、と思いました。

ただ、そのほかとなると・・・
このくらいの内容だったら、新書にするぐらいがせいぜいではないかと思います。
ハードカバーは大それすぎています。

新しきバイブル!
「もっと知りたくなる」これが読後の感想です。
慎太郎さんの話に結實さんが答えながら、ときおり2人の対談を盛り込んでいる。
そのすべてを信じたくなる事実に共感します。
この方法を実践してみようと思えるものが多く「老いては」というネガティブな
年の重ね方ではなく、そのことに恐れることはなく、楽しみながら生きていく……
そのことを痛感させられます。
不治の病であろうと、恐れるべきではなく、西洋医学と東洋医学の両者を知って
いることがこんなにもすごいこと(心強いこと)なのだと、改めて納得しました。
実際にどこまでできるのかはわからないまでにしても、この本に書かれていること、
スタンスは決して難しいものではなく、試す甲斐があるものだということだけは
絶対かと。
なんだか、勇気をもらえる1冊でもあります。


わが人生の時の人々 (文春文庫) わが人生の時の人々 (文春文庫)
石原 慎太郎   文芸春秋   文芸春秋  
軽はずみな発言ではない
歯に衣着せぬ発言が多い石原都知事ですが、この本を読むと、なるほどと、
すくなくとも軽はずみな発言をしているわけではないと言うことがわかります。
なぜ、東京にオリンピックを誘致したいのか、なども伝わってきます。
昭和時代の昔話としてもおもしろいと思います。
ひとつの昭和史・・・
時代の寵児として出現し今なお政治家としての名を馳せる石原氏を軸に、
文壇関係(三島由紀夫、川端康成、小林秀雄)、芸能関係、政治関係などの
人間交遊録が率直にまた興味深く書かれている。
 自慢話しも多いが、ひとつの昭和史と読んでも十分面白かったのは間違いない。
スーパースター
読んだきっかけは、この間TVで放映された「弟」を家族で見たこと。私の世代にとっては、政治家としてしか殆ど知らなかったが、正に時代の寵児、当時のスーパースターであったことが良く分かった。

現役の大学生にして、芥川賞を受賞した石原は、一橋大学の先輩作家である伊藤整に、「君は今とても良い人生の時期にいると思いますよ。この際文学以外のことでも興味が涌くものは何でもやったらいいと思うな。小説家だけにはそれが許されますからねえ。なに、やって見て失敗したって全くかまいはしないんです。小説家なんだから、その後、なんで失敗したかを書いたらいいんですよ。」と言われ、アドバイスどおり、映画出演から、映画監督、ボクシングのレフリーまで何でもやっていく。

その間に交友のあった、著名な小説家、俳優、映画監督のしらぜらる側面を著者独自の分析を加えて余すところ無く描いている。

政治的好き嫌いは別として、読んでみると石原慎太郎が活躍した昭和30年代、40年代が描かれる人物を通して良く分かる。


法華経を生きる (幻冬舎文庫) 法華経を生きる (幻冬舎文庫)
石原 慎太郎   幻冬舎   幻冬舎  
信仰を哲学する
言語を身につけた人類は抽象的なイメージをもつことができるようになった。これはまるでキリスト教でいう善悪の木の実を食べてしまった原罪に似ている。
人類はサムシンググレイトから孤立したことで、意識として不安を抱えることとなり、それを除去する営みとして、理性から感性に戻す芸術・言語を駆使して真理を求める哲学・教義と瞑想などを通じて絶対支配に帰依する宗教を持つに至る。

釈迦、キリスト、マホメットは、教えに一行の文章も書かかずに文字として残さずに、哲学を行動した無類の行為者と述べ、石原氏もこの作品の中で、宗教を思想でなく哲学として実践的に捉えることに挑戦している。

哲学とは「存在」と「時間」について考えることそのもので、宗教的無常観や悠久性・無限性と通じると述べている。
釈迦の得たことである諸法無我と諸行無常から涅槃寂静へ至るの道を軸とした仏教的考察として、信仰を哲学する

結果としてすべてものはサムシンググレイトの所作であり等質等量であることと、いま・ここ・この時を生きている自分は過去から未来へ続く一瞬の存在として繋いることこそが、「人は何のために生き存在するのか」という命題に対する答えとしている。
そのアプローチとして法華経の教えである十如是を鑑み、素粒子よりもミクロな単位でこころに存在するであろう実相こそがサムシンググレイトとして当てはめて、すべてが必然であるとし、それが神仏に帰結する以外にないと証明をしている。

まさに在家主義にたって、個人として仏教に対峙して、宗教を哲学をしている傑作であると思う。
既成仏教の寺や僧の語る観念的なアプローチとの違いを痛感し、石原氏がここで述べるように理解や納得ではなく了解できる

言語を持ったことで自由を得たことの必然として不安を持つことになった人類が、言語を駆使して信仰を哲学し、こころの安らぎを得て自在になれることを探求している。
何を持つか、何を知ったかなどが人生の目的地などではなく、ものごとの本質とはなるほど”大きな仕組み”のなかでこうなんだということを得て安住し、過去から未来へ一瞬の連続において、続く駒の一員としてそのことすばらしさを引き継いでゆく役割こそが人が生きる目的であるとするなら、これ以上の客観性はなく、生きる日々の軋轢などは無用になるほどのインパクトがある。

客体化できたコミュニケーションの中で、「おかげさま」というように相手が喜ぶことが自らの嬉しさと共感しあうことが真の満足あるとお互いが気づくことである。
残念ながら主観に埋没し、欲求に自己満足することに彷徨う人々のこころをも救われる。
民主主義
 10年ほど前、上智大学の近くの書店で
単行本を購入した。新幹線の中で読んだ。
 即身成仏と先祖崇拝は、両立するのでしょうか。

人間の弱さも兼ね備えた人間として読む
 本書は基本的に法華経の解説本である。
 著者独自の視点から見て、釈尊の考え方や感覚を現代哲学や物理学から比較していくものとなっている。特に時間論、迷い、悟り、縁が語られている。また、著者の人生を振り返って法華経にあてはめるようなところが散見する。
 「偶然なものは何もなく、全ての物事には意味ある」ような類のことは、普通の知識人であれば信じていることであっても、公表するのにちょっと憚れるだろう思う。しかし、著者は縁として、極めて素直に感じたものとしてとらえる。また、世間には矛盾や不条理が満ちている。それならば著者のように楽観的に仏の加護をそこまで信じるには、ちょっと無理があるようにも思われるが、それを自分の経験から語る。
 ただ、著者は斉藤貴男の本などを読むと、やはり基本的には全体主義やファシストの亜種のキャラクターでありつつも、汚職の仕方はセコイ、改革の仕方が汚い、えげつない、弱いものいじめ・・・というか矛盾や不条理とは君のことかねと言う感じがするほどであり、銀行問題もどうも身勝手でさらに、自分がやったのに人のせいにするやり口はあいかわらず。胡散臭さはぬぐえない老齢のスーパースターなのだが、本書を読むと、ある意味頑固でやっぱり感違いして威張っているという印象をもちつつも、しかし何かよすがにすがりたい人間の弱さも兼ね備えた一人の人間であることが理解できる。また、それが信条・信念を頑なに持つことができるこの世代の日本人の一人なのかもしれないと思わせるものが確かにある。
 ただ、やはり知識人として学者のように抽象的還元(公理的思考)によって全体性を思考して、それを全ての人、一般に当てはめようとしたり、身近な友人や家族の例をやはり無理に世間一般として解釈する傾向も本書から伺えるので、もう少し庶民生活の現状に肉薄するような視野の広い解説を法華経の解説においても望みたい気もする。しかし、法華経そのものの性格が、庶民から離れた、ある意味広大無辺の宇宙の仏教的解釈という、知性的で、落ち着きややさしさとは別の、反省無用の外向的な仏教の内容だから物理学と相性がよく、時間論哲学との相性もことさら良い、著者との相性もこの教えは良いということも本書からわかる。
私の読書メモ
宗教にあこがれるも、心から信じられない私。宗教心とは何か・・・探訪の際に出会った本。

私、般若心経、そらんじてます。でもそこで終わり。
世界の哲学ともいえる仏教にもっと近づきたいのです。

仏教が広まったら、今より平和になりますね。
別に平和が絶対的な価値を持つとも思いませんが。
もっと法華経について知りたくなる本
人生とは仏性に至る道程と読みました。
仏典の引用は抽象的な言葉が散りばめられており、砂を噛むような思いがしましたが、本書では石原氏の思い出、古今の科学者、哲学者の考え方をクロスさせながら進むので入りやすい。また、偶然の出来事なのに、ある意味必然だったという体験は自分自身に置き換えることで更に理解が進むと思います。
宮本武蔵の逸話を使って説明しているように、仏教において救済とは神が天上の楽園を約束するのではなく生きていく上で問題を解決し、自分が切り開いていくことで気づきを得ていくこと。法華経の十如是は気づきを与える方法論であってそれを使って考えるのは自分でしかない。その意味では仏教とは人生に対する能動的な哲学そのものと思いました。仏教に対する考え方が変わり、自分にとって新しい発見でした。もっと法華経について知りたくなる本。

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